■ 海 津 大 崎  


琵琶湖の北西 海津は、今津、塩津とともに湖北三港のひとつとして、古代から京と北陸を結ぶ湖上交通の要衝として栄えてきた所で、今も家並みや自然石積みの石垣などに 昔の面影を残す。
海津から敦賀に通じる七里半越(国道161号)には、古代三関のひとつの愛発関(あらちのせき)があった。


山裾が琵琶湖に突き出た男性的な奇岩群の海津大崎は、湖南の女性的な風景に比べ、荒々しくて厳しい湖北の自然を象徴している。
この一帯の風景が「暁霧・海津大崎の岩礁」として、琵琶湖八景の一つ。


海津の名が広く知られたのは、湖岸に沿い約4kmにわたって、600本の桜が咲き誇る桜並木の眺めである。
湖上の竹生島と調和した眺めは「日本のさくら名所100選」にも選ばれ、遊覧船で湖上から眺める桜も趣の違った景観を作り出す。


昭和11年(1936)湖岸沿い道路の大崎トンネル完成を記念して、当時の海津村が桜を植樹したのがこの桜並木で、毎春、大勢の花見客が訪れる。
完成より5年ほど前から道路作業員が自費で桜の苗を植えていたのが、村を挙げての記念植樹の切欠となった。




■ 真言宗智山派 石立山 大 崎 寺 宝光院

大崎観音の名前で人々に親しまれている。
海津大崎の山の中腹、長い石段を上った崖の上にあり、境内からの桜並木や琵琶湖の眺めが素晴らしい。


山岳修行僧の泰澄大師の作と伝わる千手観音立像(秘仏)を本尊として大宝2年(702)開基。
本尊・十一面千手観音菩薩像は、子(ね)年にだけ開帳される秘仏。

平安時代に遣唐副使を務めた小野篁が中興。

奈良 興福寺の末寺で、隆盛を極めた頃は三十九僧坊があったが、戦国時代に荒廃。


宝形造りの阿弥陀堂は「安土の血天井」として知られる。
本能寺の変後、安土城を守っていた日野領主・蒲生賢秀は
織田信長の妻子を日野城に逃し、明智光秀の軍と戦い討ち死にした。
豊臣秀吉は諸国仏閣復興のとき、安土城の血痕のついた城材を使って寺を修復した。
賢秀の血しぶきを浴びた板が 阿弥陀堂の天井に使われた。


昭和41年(1966) 本堂改築の際も、使われていた用材を阿弥陀堂改築 天井に使われることになり、今も昔と変わらず安土城戦没者の霊を慰めている。


平成5年(1993) 社・寺の湖国百選にも選ばれ、観音巡り近江西国第九番札所として、参拝者で賑わい、海津大崎の桜の咲き誇る四月には観光客が加わり、なお一層の盛況となる。


阿 弥 陀 堂

境内には 西近江七福神めぐり 毘沙門天も祀られている。


竹 生 島 遠 望







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