法  金  剛  院
( ほう  こん  ごう  いん )
  ~ 関西花の寺 13番 ~
 

 法金剛院1

五位山 法 金 剛 院
非常に簡素な「表門」車の通行の多い通りに面しいる。
『文徳天皇御旧跡 律宗別格本山 法金剛院』

 法金剛院2

平安時代初期、天長の頃(830)、右大臣清原夏野(きよはらなつの)が山荘を建て、彼の没後、双丘寺(ならびがおかでら)となったのが創始。
文徳天皇が天安2年(858)に伽藍を建て 定額寺に列し、天安寺と号す。
その後、寺は衰退。
大治5年(1130)鳥羽天皇の中宮 待賢門院(たいけんもんいん)が天安寺を復興し法金剛院と改号。
鎌倉後期 唐招提寺から円覚上人が入寺し復興に努め、この時律宗になる。
応仁の乱で寺は焼失、元和3年(1617)に照珍上人の努力で復興。
明治になり山陰線の敷設により寺の土地の南半分を失う。

 法金剛院3

 法金剛院4
「中門」をくぐり、参道を進むと眼前に庭園が拡がる。

 法金剛院5
礼 堂」のやや奥まった場所に「仏殿」。
「仏殿」には本尊の「阿弥陀如来坐像(重要文化財)」をはじめ(展示公開)
「十一面観世音菩薩座像(重文)」「厨子(同)」など多数の仏像を安置。
藤原時代の本尊阿弥陀如来坐像は、光背や台座の蓮弁に華麗繊細な彫刻だそうだが 残念ながら佛殿は工事中(~3/31) 

 法金剛院6
「待賢門院の歌碑」 (約1.5m高)。平成9年(1997)
『 ながからむ心もしらず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ 』

 法金剛院7
平安時代の庭園で、蓮の花を愛でる
庭園は極楽浄土として造園させた「池泉廻遊式浄土庭園」
池の周りの遊歩道は紫陽花など四季の花が数多く植えられ、
「蓮の寺」として知られるように 7月上~8月中旬には
池の水面が殆ど見えないまでに一面に蓮が生育される。
鉢植えの蓮も礼堂の周りに並び置かれる。午前7時から開門

 法金剛院8

法金剛院9
「庭園」の北端に巨石を並べた「青女の滝」がある。
僧林賢と靜意の作。
数少ない平安時代のもの、作者が明確で 遺構がそのまま残り貴重。
国の 特別名勝に指定されている。

 法金剛院10


 2009 03 20


 法金剛院11








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