帯  解  寺 
  ( おび どけ でら )  


 帯解寺1

奈良市を南へはずれたあたりに京終(きょうばて)と言う地名がある。
文字通り平城京の南端で、ここから桜井、伊勢方面への上(かみ)街道(上ツ道)が延びている。
この道を進んで行くと、安産の地蔵さんで名高い帯解寺に至る。

 帯解寺2

空海の師・勤操(ごんそう)大徳の開基と伝えられる。
子供ができずに悩んでいた文徳天皇のお妃染殿皇后(藤原明子)が、帯解寺の本尊・地蔵菩薩に祈願したところ懐妊、嘉祥3年(850)、惟仁親王(後の清和天皇)が生まれ、天安2年(858)伽藍を建立、それまでの霊松山から帯解寺と勅命された。
江戸時代には2代将軍・徳川秀忠がこの地蔵菩薩の祈願したところ男児・竹千代(後の3代家光)が生まれた。
徳川家光も世継ぎがなく、御楽の方が帯解寺に祈願され、竹千代丸(家綱)を安産された。
惟仁親王が生まれて以来、今日まで子宝、安産祈願のお地蔵さんとして、朝廷や貴族はもとより一般庶民の信仰を集め、安産の腹帯やお守りを求める参拝者が絶えない。

 帯解寺3

花のお寺ではないが、色々な花を飾ってあり、妊婦への心遣いを感じさせる。

 帯解寺4

本尊・木造地蔵菩薩像(国・重文)は半跏像で、はち切れそうなほほや柔らかい着衣のひだなど調和の取れた姿の地蔵像として知られている。俗に「帯解地蔵」と呼ばれたり、腹の前で裳(も)のひもを結んでいることから「腹帯地蔵」と呼ばれたりしている。

 帯解寺5

戦国時代の永禄10年(1567)兵火で本堂は焼失したが、地蔵菩薩像は持ち出されて無事。江戸時代、徳川秀忠の援助で再建されたが、幕末の安政の大地震で倒れ、安政5年(1858)に再建されたのが現在の本堂。

 帯解寺6 
 帯解寺7


美智子皇后陛下、紀子妃殿下ともここの安産帯を召されたという皇室ゆかりのお寺である。

 帯解寺8 
徳川三代将軍家光公が寄進した手水鉢


 帯解寺9

 帯解寺10
この場所には 近づくのに 勇気がいりました

 帯解寺11 
 帯解寺12


寺から正暦寺に通じる山の辺の道の途中に帯解地蔵の霊験にあやかり、
ちらし寿司を包んだ卵焼きに「子宝」の焼き印を捺して、のりの腹帯を巻いた子宝寿司を売る寿司屋がある。
 帯解寺13
帯解寺御用達のこお寿司屋には、ここならではの子宝寿司弁当が評判。
文徳天皇(850~857)皇后藤原明子(あきらけこ)が祈願しての折、
皇后は羽二重の白絹、瑞祥となる昆布、数の子、子安貝、海老、銀杏などの山海の幸を、金繍が目にも綾なふくさで包んで献上されたという。
その故事にならい、白米を白絹に、山海の幸そのままをちらし寿司の具に、薄焼卵を金糸のふくさに見立てて、ねんねこ風にくるみ、腹帯と見立てた海苔が巻かれたもの。
寺に持参し、祈願していただき、夫婦で食べるのだそうだ。
宝寿司 魚昌  : 奈良市帯解今市町361-6 TEL 0742-61-7336
営業 11時~21時 火曜休 1個500円、箱入り2個1100円 要予約。

子宝を授かり、安産を願うは 今昔変わりません。

  


 2009 01 30



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