西 明 寺
( さいみょう じ )
湖東三山の中で一番北に位置する。
平安時代初期・承和元年(834) 三修上人が仁明天皇の勅願により開創。
境内の西側に大きな池があり、池寺とも呼ばれる。
創建後、朝廷の庇護を受け、鎌倉・室町時代に栄え、17の堂塔、
300余の僧坊が建ち並び、数百人の修行僧を抱える大伽藍の寺だった。
元亀2年(1571)織田信長の焼き打ちで
本堂、三重塔(いずれも国宝)、二天門(国・重文)を残し焼失。
長いゆるやかな石段の参道は参詣する人たちが
身と心を整えるための道でもある。
参道の奥深くに並び建つ国宝の本堂と三重塔は、
信長の焼き討ちをまぬがれた鎌倉時代建立の特筆すべき建造物。
本堂は飛騨の匠の技が冴え、釘を使用していない鎌倉時代初期の純和風様建造物の秀作。
本堂内は内陣と外陣に分かれ、
内陣の厨子には住職一代に1回だけ開帳されると言う秘仏の本尊・薬師如来像 (国・重文)
周りは、二天王立像(国・重文)、不動明王・二童子像など7体の仏像を含む26体の諸仏像が安置され、荘厳な雰囲気が漂う。
本堂に居並ぶ仏像群のうち、頭に十二支の動物の顔を戴く十二神将はユーモラスで親しみやすく、自分の干支の神将の前で祈願する参拝者が多く「えと寺」としても知られる。
三重塔は鎌倉時代後期のもので、こちらも飛騨の匠が釘を使用しないで建造した純和様建築。
初層内部の須弥壇中央には金色の大日如来像が安置され、
塔の中心柱の周りの四天柱には金剛界37菩薩のうち32菩薩が描かれている。
塔内の天井や板戸、柱、扉など塔内部のあらゆる部分には、
八天像、八大龍王、法華経の図解、極楽鳥、宝相華、ハスやボタンの花などが描かれ、極楽浄土の様子が流麗なタッチと鮮やかな色彩で表現され、600年を経た今もその色合いは目を見張るばかりである。
寺には11月ごろに淡いピンク色の可憐な花が満開になる樹齢200年と言われる不断桜 (県・天然記念物)がある。
冬桜の一種で淡いピンク色の花が咲き、約1,000本の紅葉と桜を同時に愛でることができる。
門前の一休庵は「西明寺そば」が名物の食事処。
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