道 明 寺 天 満 宮
( どうみょうじ てんまぐう )
.
菅原道真が梅の花をこよなく愛し、太宰府へ赴任する時に妻子に
・・・・・・と詠んだ歌は有名である。
全国の天満宮では梅が見られるが、ここ道明寺天満宮の梅林も見事な花をつける。
2月から3月にかけて90種900本の梅が咲きそろい、地元の愛好家による盆梅展も開かれ、境内一帯が芳香に包まれる。
全国各地にある天満宮の神紋は梅の花をデザインした梅鉢がほとんど。
道真は学門の神様として崇められて各地で天神信仰が盛んになり、
菅原氏の後裔とされる家系では梅鉢を家紋としている。
天神を信仰する大名や武将の中には梅鉢を家紋にしている人物もいる。
天満宮が鎮座するこのあたりは、土師(はじ)の里と呼ばれる。
垂仁天皇の時代に、菅原道真の祖先で、相撲の祖とされる野見宿禰(のみのすくね)が、埴輪を作って殉死の制度に代えた功によって、土師の姓とこの一帯を所領地として賜ったことによる。
宿禰は天照大神の御子で遠祖の天穂日命(あめのほひのみこと)を祀って創建した土師神社が、道明寺天満宮の始まりとされる。
仏教伝来に伴って土師寺も建立され、後に道真の別名・道明にちなんで道明寺に寺名が改める。
道真没後の天暦元年(947)に道真が彫った道真像を祀ったの道明寺天満宮で、明治維新の神仏分離令で道明寺が分離され、約200m西に移された。
道真は40歳の時、土師寺の住職だった伯母の覚寿尼を訪ね、4月から7月までこの地に滞在し、夏水井(げすい)の水を汲み、現在国宝に指定されている青白磁円硯(せいはくじえんけん)で墨をすり、大乗経の写経をしたり、本尊となっている十一面観音像(国宝)を刻んだ。
太宰府に向かう途中、淀川河口に船を止め、土師寺の伯母を訪ねて別れを惜しみ一夜を過ごし、犀角柄刀子国宝(さいかくえとうず)で自分の像を刻み、この像が祭神として天満宮に祀られている。
このほか天満宮には国宝、重要文化財の社宝が多く、菅公絵伝屏風に描かれた金地扇面彩色画は、60枚の扇面に道真の生涯を描いたもので、このように扇面に描いたものは珍しいとされる。
この中に太宰府赴任を前に自宅の庭で「東風吹かば ~~ 春を忘るな」と詠んだ有名な場面がある。
鶏が夜明けを告げると「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の 音のなからん 里の暁もがな」の歌を残し、太宰府に赴いた。
この鶏が「鳴かなければ…」と嘆いた道真の気持ちをおもんばかって、この地で鶏を飼うことが禁じられた。
青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで
小林一茶の句碑。一茶が33才の時、寛政7(1795)年に西国行脚中に当宮に立ち寄られたときに、この句碑のある場所で詠んだ。この時代にも梅の木が想像できる。
書は榊莫山。
また、このときに一茶はもう一句詠んでいる。
暁や 鳥なき里の ほととぎす










