慈  尊  院  
  ( じ そ ん い ん )


女 人 高 野 

慈尊院1

高野山の北、九度山町の慈尊院は、空海が高野山を開山した折に創建、高野山参詣の表玄関となり、高野山の寺務を司る高野山政所(まんどころ)が置かれた。
厳寒の高野山を避け冬期の修行の場になるとともに、京の都から高野山に参詣した天皇、皇族、貴族らの宿所にもなった。

慈尊院2

高野山を開き修行するわが子・空海にひと目会いたいと、四国・讃岐国善通寺から空海の母が高齢をおして承和元年(834)訪ねるが、女人禁制の高野山に登れぬため、空海は慈尊院に母を住まわせるも、翌年81歳で亡くなる。
空海は、月に9度は必ず母に会いに山を下りて来たことから、九度山の地名が生まれた。

慈尊院3
慈尊院4

空海は、慈尊院の本尊・弥勒仏座像(国宝)を篤く信仰していた母のために、弥勒堂(国・重文)を建て、弥勒仏座像と御母公像を安置した。

慈尊院5

本尊の弥勒菩薩像には、寛平四年(892)の銘があり秘仏。
開扉は21年に一度とされ、次回は2015(平成27)年。

慈尊院6
慈尊院7

本尊弥勒菩薩に化身したという空海の母が眠る寺で、女性の高野山参りは慈尊院までとの戒律から、慈尊院が女人高野と呼ばれた。

慈尊院8


慈尊院9

子授けや安産、育児、授乳などの祈願の寺として女性の信仰が篤く、
祈願の際には布で形どった乳房型や絵馬がたくさん奉納され、
弥勒堂前には無数の乳房型が結びつけられている。
有吉佐和子の小説「紀の川」にも、乳房型の絵馬を奉納して安産を祈願する様子が描かれている。

慈尊院10

女人高野と呼ばれた慈尊院から高野山根本大塔までの表参道に180基、根本大塔から奥の院までの参道に36基、ほかに36町ごとの1里石が4基の町石が立っており、その総延長は24km。


  

2008 10 31



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