カラカラと氷をとかす音がしていた。
父は会社から帰るのが遅かった。読書好きの父は、夜中まで本を読んでいることが多かった。片手には、いつも水割りがあった。
「おやすみ」と私が声をかけると、「おやすみ」と低い声が背中から返ってきた。次の日の朝、私が目を覚ますと、父はもう出社していた。
年末のある日、それ以来、氷の音を聞くことはなかった。父は電話で一言「今日は遅くなる」と言ったきり帰らなかった。はじめは、ただの朝帰りだとばかり思っていた。しかし、父は数週間たっても帰ってこなかった。その父が、翌年になって、何事もなかったかのように帰ってきた。私は無条件で喜んだ。ところが父は、荷物を取りに来ただけで、すぐに戻ると言った。私は父にしがみついた。行かないでくれ---。それしか言えなかった。それでも父は去っていった。
それから数年が経って、私もやっと酒の飲める年になった。父はいないが、思い出がある。酒がある。
私は一人で飲む酒が好きだ。なぜなら、最も素直な気持ちで飲めるからだ。
カラカラと氷をとかしながら、一人で水割りをあおるのだ。そんな時は、決まって父のやさしい姿だけが思い出される。
それ以外のことは、氷のようにとけてしまったのかもしれない。