僕自身も戦争を知らない世代だが、今自民党ででかい顔している連中も戦争を知らない世代が殆どだろう。

そして今再び戦争で甘い汁を吸おうなんて連中が跋扈し始めてる危うい世界。

アメリカではトランプとマスクが原発原爆賛美の大合唱。

 

「トランプは核兵器について「かつて誰も見たことのない破壊力だ」などと称賛。マスクは「広島と長崎に原爆が投下されたものの、今では完全な都市に復活している」「原子力は考えられているほど恐ろしいものではない」などと主張。トランプはこれに反対意見を述べなかった。」と報道されている。

 

岸田の後釜を狙う自民党議員もみんな改憲派で、軍事オタクもいるし、危ない危ない。

戦争体験を語り継ぐ大切さを改めて噛みしめたい。

 

戦後79年の夏に ドキュメンタリー番組「母と歩いた道」制作者 相田洋さん

満州から命がけの引き揚げ 戦後の混乱知る世代として

2024年8月15日【テレビ・ラジオ】

 ドキュメンタリー制作者の相田洋(ゆたか)さん(88)は、戦後の1946年に「満州」(中国東北部)から引き揚げてきました。その過酷な経験をたどるドキュメンタリー番組「母と歩いた道」を制作し、2015年にNHKBSで放送されました。改めて、親子で“歩いた道”を振り返ってもらいました。(小川 浩)

 

 1943年、相田さんの一家は北朝鮮との国境に近い中規模都市の延吉に住んでいました。吉林(きつりん)省の朝鮮族自治州に位置する県級市です。相田さんの父・定次郎さんは「満州国」の警察官でした。日本の朝鮮支配に抵抗する「抗日匪賊(ひぞく)」を取り締まるのが仕事でした。相田さん一家の住まいは、そうした抗日匪賊を収容する獄舎の中にありました。

 

 「私たち一家の居室は取調室と廊下でつながっていて、しばしば鉄の扉の向こう側から、人の悲鳴やうめき声が聞こえてきました。誰かが拷問にかけられたのでしょう」

 

 43年、定次郎さんは水利事業所に転職。和龍県(朝鮮との国境から50キロの街)に家族で引っ越しました。7歳の時でした。

 

 44年3月、召集令状が届き、定次郎さんは写真屋を呼んで家族の集合写真を撮らせ、それをポケットに入れ戦場へ旅立ちました。

 

 ソ連が「日ソ中立条約」を一方的に破棄して日本に宣戦布告したのは45年8月8日。

 相田さんが目にした光景は「ソ連兵は満州に侵攻して『ダワイ(よこせ)! ダワイ(よこせ)!』と叫びながら略奪や性暴力など、傍若無人に暴れ回りました」。

 ソ連兵が去ると今度は毎日のように人民裁判が開かれ、日本に協力した朝鮮族の人たちが柱に縛られてムチで打たれ最後に銃殺されました。

 

 この様子を見に行った相田さんたちは、「朝鮮族の子どもたちに見つかり『三等国、三等国』と叫びながら、足蹴(あしげ)にされツバを吐きかけられました」と振り返ります。

 「三等国」は敗戦前に日本人が朝鮮族の人たちに対して使っていた言葉でした。

 

 1946年8月、和龍の日本人にも引き揚げ命令が下りました。

 9月1日の午後、和龍駅から約300人の日本人が無蓋(むがい)車に乗せられて吉林駅を目指しました。

 

 相田さんは「途中の30キロは無蓋車を降ろされ行軍になりました。それは飢えとのたたかいでした。用意した食べ物が尽きたのです」。

 「日本人が村の中を通る時、見守る中国人から『ショーハイ・マイマイ』の声が頻繁に飛びました。『子どもを売れ』の意味でした。共倒れするよりは中国人に預けたほうが子どもを生かすことができると考えた親の多くが子どもを手放しました」と語ります。

 

 相田さんの母フイさんは保存食の煎り大豆を自分の口でかみ砕いて子どもたちの口に入れたそうです。フイさんを看護師として雇ってくれた朝鮮族の医師が「できるだけ多くの大豆を煎っていざという時に食べなさい」と助言してくれました。

 フイさんは3人の子どもたちを祖国に連れ帰りました。驚いたことに、音信不通だった定次郎さんは先に復員していました。

 

 「父が地獄の戦場といわれたフィリピンでたたかっていたことを知ったのはその時です。一家5人全員が生きて帰国できたことは奇跡に近いことです」と相田さん。

 

 このインタビューに応じた理由について「私は戦後の混乱を大陸で体験した最後の世代になりました。しゃべることができるうちに、私自身の体験について聞いてほしいと思いました」。

 「戦争がもたらす惨禍が脳裏に染み込んでいる私としては、憲法9条は絶対に守らなきゃいけない。そう思っています」

 

 あいだ・ゆたか 1936年5月生まれ。60年NHKに入局。「NHK特集」「NHKスペシャル」を舞台に「世界の科学者は予見する、核戦争後の地球」など数々の斬新なドキュメンタリー番組を制作。定年退職後はフリーのディレクターとして自らの介護体験を描いた「NHKスペシャル 母と息子3000日の介護記録」「母と歩いた道~相田洋旧満州引き揚げ録」を制作。2019年に放送した「移住50年目の乗船名簿」は南米移民を50年間記録し続けたライフワークの集大成となった。先月、「長年にわたる優れたテレビドキュメンタリーの企画・制作」をしてきた実績が称賛され「放送文化基金50周年記念賞」受賞。         「赤旗」

 

 

 

 

「一つは今回の東京都知事選で小池百合子さんに次いで票を集めた石丸伸二さんを「ニューウェーブ」と騒いでいるのを見て、論法、話し方、居丈高な口ぶりは旧軍人と全く同じと思った。「恥を知れ、恥を」というのは、昭和10年代の帝国議会の軍人の答弁と思った。

 もうひとつ指摘する。海上自衛隊出身の方が靖国神社の宮司になった。海自隊員が集団で靖国神社へ参拝している。軍事組織が平然と靖国神社と一体化することを宣言したに等しい。平成期は考えられなかった。今上天皇を軽視しているに等しい。こういう形が新しい戦前だと理解した。」