昨日の全国戦没者追悼式で安倍首相は「積極的平和主義」という言葉を初めて使った。

彼の頭の中にあるのは米国と一体となった集団的安全保障体制という名の自衛隊の世界展開で有り、敵基地攻撃論だろうことは容易に想像がつく。

 

加害責任なき平和主義 首相式辞「歴史の教訓」消える

「終戦75年の節目となった15日の全国戦没者追悼式で、安倍晋三首相は持論の「積極的平和主義」に初めて言及するなど、過去への反省に背を向ける姿勢を鮮明にした。アジア諸国への加害責任には8年連続で触れず、「歴史に謙虚に向き合う」など従来取り入れてきた言葉も消えた。戦争の教訓に向き合おうとしない首相の下、政府は敵基地攻撃能力の保有を含む安全保障戦略見直しを議論しており、戦後日本の平和主義は揺らぎ続けている。」     「北海道新聞」
 
 

日本会議の連中は何でこんなに戦争が好きなのか。戦争に対する想像力が欠如した頭の中にあるのは夢遊病的な戦勝感なんだろう。8月15日の靖国神社の狂騒や参拝した閣僚が必ず言う「英霊に感謝し平和を祈願」云々の発言に接する度にこの国の平和が足下から揺らいでいると感じざるをえない。

 

映画監督高畑勲が珠玉の言葉を残していた。深くかみしめたい。

 

高畑勲監督が「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言し続けた理由! 日本のズルズル体質に強い危機感

 

「『戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う』とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」

 

 そして、高畑監督はだからこそ、「ズルズル体質」のストッパーとなる存在、つまり憲法9条にこだわっていた。高畑監督は、日本国憲法を勝手な解釈で骨抜きにし、さらには、その意義を根底から覆そうと企む安倍政権の動きに対して、このように語っていた。

 

「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが、9条です」(前掲した武蔵野市の講演会)
「『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」(前掲・神奈川新聞インタビュー)

 

 高畑監督の危機感と、護憲の姿勢は、けっして理想論ではなく、シビアでリアルな視点から出てきたものだ。だからこそ、高畑監督は精力的な作品づくりの一方で、アクティビストとしての活動を始めたのだろう。」   「リテラ」

 

 

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