2000年を超える日本史から学ぶべき成功と失敗の教訓【5分でまとめ】 | 【らくーん別邸】50歳から体調も運気もグイグイ回復

2000年を超える日本史から学ぶべき成功と失敗の教訓【5分でまとめ】

歴史大好き癒し王ふじですウインク

 

今日は

約13000年前の縄文時代から

現代、西暦2000年過ぎ

までの長~~い歴史の中から

(ほんとにざっくりで申し訳ないですが)

 

”わずか5分で”

教訓を拾い出すという

無謀な挑戦をします。

 

この記事を数分読むだけで

今までの長い日本の歴史の

重要なポイント」(ターニングポイント

だけはとりあえずおさえることができます🙇

 

※以下は、あくまで個人的な歴史的解釈であり

絶対に正しいものではありませんのでご理解ください

 

☺成功(学ぶべき点)と

💀失敗(やってはいけなかった点)

両方から教訓を得ようではないですか!!

 

歴史とは、先人たちの成功と失敗の行動結果です。

だから我々は、それぞの背景にある要因を見抜いて

今後に役立てるべき。

 

つまり

歴史とは過去の事実をただ覚えるのではなく

事実や事象から教訓を得るための

必要な知識と知恵の宝庫なのです。

 

ではいってみましょう!スタート

   下矢印

弥生時代

●朝鮮半島から銅剣、銅鐸、金属加工技術が日本に入ってくる

☺教訓→最先端技術を、先進外国から学んで取り入れよ

     自分よりも進んでいる技術はどんどん取り入れよ

     技術を学ぶため積極的外交関係を行え

 

飛鳥時代

●外国の技術を学んで取り入れた蘇我氏が実権を握る

☺教訓→いち早く取り入れたのがポイント。先行者利益あり

 

●聖徳太子は、豪族の世襲に関係なく人材を直接登用

☺教訓→士族毎の合議制だとものすごく非効率だった

     今までのやり方を壊して効率化を図った

     世襲に関係なく人材を登用◎

 

●遣隋使で当時最先端だった中国から様々なシステムを学び取り入れる

☺教訓→①日本は教えてもらう立場ではあったが

      外交は対等関係を維持(日出処の天子)◎外交上手

     ②当時最先端のシステムを現地から学ぶ

      中央集権、律令制、税制、政治の仕組み

 

●蘇我氏は聖徳太子死後、天皇を超える権力を握るようになる

💀失敗→権力が集中しすぎるとやりたい放題になる

      結局、政権は長く続かない→(乙巳の変で)倒される

 

●遷都を繰り返した(藤原京→平城京へ)

💀失敗→都の設計=都市計画が十分にされていなかった

      川が近くにあり水害が起こったり、場所・地形的に問題があった

      どこに陣どるのか?場所は風水的にも兵法でもとても重要

 

奈良時代

●藤原氏と皇族の政治の主導権争い

💀失敗→藤原氏は、天皇の外戚(母方の親戚)を送り込み続けることで

      影響力を誇示し続けた。権力の濫用・悪用

      政治の主導権争いが起こるとたいがい国民はそっちのけになり

      国民のための政治が行われなくなるのが常

 

●藤原不比等は律令制定に大いに関わった

☺教訓→藤原不比等は法律に詳しい

     その時代・世の中が求めている知識やスキルを持っていると

     武器となり重用され出世する

     今の時代、これからはどんなスキルが求められていくか?

     これからのスキル磨きをしよう◎

 

●聖武天皇後、土地所有が農民に認められる

☺教訓→期限なしの所有を認めることで、

     新しく田畑を開拓するやる気が出た

     →人々のやる気を生む制度設計が大事

 

●徴税を行う国司が農民の私有地に干渉

💀失敗→徴税者の権限が強くなりすぎて口出しが多くなり

      システム自体がうまく機能しなくなる

      権限の1点集中と強権は避けるべき(内部牽制の仕組み構築を)

 

●農民は国司からの干渉を嫌う

💀悪知恵→そこに目をつけた藤原氏のビジネスセンスが光る

     藤原氏は農民に対し土地の「名義貸し」をした

     自らの土地を増やし収入源・財政基盤とした

     困っていることを解消しつつ、自らの利に結びつける

     収入源をしっかり握っておく→長期政権のコツ

 

平安時代

●桓武天皇は長岡京から平安京へ遷都

💀失敗→僧侶の力を避けるように平城京から長岡京へ遷都するも

      洪水など土地も悪く、担当者が暗殺されたりで失敗

      新しい制度設計は事前準備と調査の徹底

      再び、陣選びの重要性

 

●遣唐使廃止(菅原道真)

☺教訓→リスクとリターンのバランスを考えよ

    唐に渡るのはかなりのリスクがある

    唐という国自体がどんどん衰退→学ぶべきものも減っていた

    廃止という選択は正しかった

    ※今まで続けてきたことを廃止するには英断が必要

 

●荘園制が広がる

☺教訓→未開拓地を自らの手で開拓することは良いこと

 今でいえば、ブルーオーシャン、ニッチの新たな市場を開拓する精神は歓迎

 新しいマーケットはリスクも高いので、それなりの武装(知識と武力両方)が必要

 自分で守ろうとして自立心と学習欲が生まれる

 

●自分たちで身を守るために武士集団ができる

☺教訓→源氏と平氏は、元皇族の「権威」を利用して成り上がった

    今でも、自分が成り上がるために今ある権威を利用する人はいる

 

●後三条天皇が荘園整理令を出し荘園を差し押さえ

☺藤原氏の財政基盤である荘園を切り崩した

 やりたい放題やっていた部分にメスが入る

 やりたい放題も長くは続かない

 

●白河天皇は武士の力と寺社を味方につける

☺白河天皇が上手なところ

 軍事力(武士の協力)と、経済力&マンパワー(寺社に詣でて味方に引き込む)

 自分の足りない所(力)を仲間を引き込むことで補う

 

●平清盛は日宋貿易で大儲け

☺貿易で大きな利益をあげ経済力を得る

 人事権を独占し政権を握る

 平清盛のビジネス発想・着眼点の素晴らしいところ

 当時、日本は銅銭が不足。南宋は銅銭から紙幣に切り替わる時期で

 銅銭が大量に安く手に入った、それを南宋から仕入れ

 溶かして日本で売るビジネスを展開。

 今でいうと、日本にない外国のものを仕入れ、それを加工し(付加価値をつけ)

 高く売るという商売センスをもって実行した

 

●平氏が大量に銅銭を日本に輸入→インフレ

💀銅銭が流通供給過剰となり、国内はインフレで物価が上がる

 今でいうと、金を刷り過ぎて供給過剰

 今後→お金の価値が下がり実質インフレが予想される

 

●関東・東北の武士たちにとってこの状況(平氏政権)に不満→源氏の台頭

☺現物経済で生きていた人達→不満たまり→平氏政権の打倒へ動き出す

 不満な状態で搾取され続けるのではなく、

 今の状況を打開するために行動を起こすことは大事

 

鎌倉時代

●土地の管理権だけを得た武士政権の鎌倉幕府は長続きしない

💀管理支配するシステムがちゃんと設計されていなかったので

 頼朝が死んだ後、グダグダになる

 土地のトラブルなど武士間の争いをうまく収められなかった

 今でいうと、会社組織などをつくる際に

 最初に仕組み設計が絶対必要。頼朝はそこまで手が回らなかった

 

●源氏にかわって権力を手にいれた北条氏

☺北条氏は問題処理能力に長けていて

 合議制で政務を上手に行った

 執権、御成敗式目、反幕府勢力の討伐など「組織づくり」がうまかった

 実権は北条氏に移って当然

 

●北条氏トップの得宗家に権力が集中

💀権力があまりにも集中すると、

  裁判なども平等さを欠き、北条氏に対する不満がたまっていく

  これも世の常

 

●後醍醐天皇は、実権を朝廷に戻そうと倒幕計画(建武の新政)

 倒幕はするも、この後、南北朝に分かれる

💀結局は、収入源である大規模荘園の利権の取り合い

 南北にわかれてもめる

 今でいうと、政権の利権争いやオリンピックの利権の取り合い

 お互いにフェイクニュースなどで足を引っ張りあう状況とも似ている

 収益源となる利権をおさえようと争い行動するのも世の常

 

●倒幕に協力した武士たちは領地をもらえない→不満

💀元寇の後もそうですが、働いたのに恩賞も領地ももらえないなら

 文句を言って不満ためるのは当然

 今でいうと、ブラック企業が残業代を払わない状況

 不満分子を多く抱えるとその組織は結果的に倒される

 

室町時代

●沖縄は、中国へ朝貢

☺沖縄は、日本国と中国・東南アジア・朝鮮との仲介役(中継貿易)を担った

 今でいうと、商社、ブローカー、仲介業であり

 沖縄の地理的条件や状況から、自らそのようなポジションを選択し

 両方と距離感をうまく保ってやっていたことは素晴らしい

 

●惣村ができる

☺自治組織ができて民衆が力をもってきた

 幕府や朝廷に対し要求を押し付けてくるようになる

 今でいうと、個人が力をもってきて、発言権や情報発信力も持つ

 コミュニティを結成し組織としても力を持ち

 堂々と自由にモノ申すことができるようになってきた

 

●荘園を管理する地頭、それを監視する守護が力を持ち過ぎた

💀半済令(はんぜいれい)で、荘園から出た収穫の半分を徴収

 収穫の中抜きをする悪い守護もあらわれた

 守護は、経済力をもち、任地を独力で支配し武力も備え

 後に守護大名となる

 権力を持ちすぎると勝手なことをやり金をちょろまかす輩が出る

 

●守護大名は、時代遅れの公家文化を否定し新しい流行をつくる

 ☺今でいうと、YouTuberのようなもので

 テレビというひと昔前のメディア文化を脱し

 新たなプラットフォームで情報発信し活躍の場を自ら開拓した

 

●悪銭が流通

💀日明貿易でも悪銭が混入して

 悪銭の受け取り拒否→取り締まりが追いつかない

 結局、江戸時代にちゃんとした貨幣が鋳造されるまで続く

 今でいうと、数年後に行われる通貨リセット(グレイトリセット)までは

 仮想的な通貨などが玉石混交状態で市場に流通する

 今はちゃんとした通貨システム(新しいデジタル通貨)が

 作られる前のプロセス期

 

戦国時代

●16cに室町幕府の権威が弱まり

 幕府に頼らず実力で地域を支配する戦国大名が出現

☺今でいうと、吉村知事や小池都知事は戦国大名

 戦国大名の台頭は、国の権威自体が落ちている証拠

 

●守護代だった織田氏(信長)は画期的アイデアでのし上がる

 足軽中心の常備軍をつくる、鉄砲の大量所有 

 軍費を手に入れるため商人を優遇し経済力を強化

☺戦争は金がかかる。軍費が絶対に必要

 まずは経済力をつける

 最新テクノロジーを導入。専門家集団をつくる

 いずれも当時の常識を破る画期的なアイデア

 

安土桃山時代

●秀吉は、金山銀山をおさえて莫大な上納金を収めさせた

☺その時代の旬の収入源を抑えよ

 上納金を収めてくれるところを優遇

 これは今でも、選挙で投票してくれる業界には

 その業界に有利な政策を展開し

 優遇するという仕組みが残っている

 昔から権力支配者は票源と収益源をおさえている

 

●信長~秀吉は検地を徹底

☺戦国大名は勝手に現地で税を徴収するようになった。荘園制は崩壊。

 秀吉は税の中抜きを禁止にした。検地(計測器具を統一し土地を実測)

 これは今でいう、コロナ対策にも応用できると思いますが

 全体として統制を図るには

 器具、やり方、基準とルールを統一することが大事

 

●秀吉、文禄の役で朝鮮出兵失敗

💀主な敗因→補給がうまくいかなかった

   武将間の対立、現地で物資を略奪し反日感情高まる

   戦争で必須なのは補給路の確保 ※太平洋戦争でも同じ過ちを犯した

   武将同士が対立している場合ではなく

   内部が1つのチームとして一丸となり

   目的や方針が統制されいないと相手に勝てる訳がない

   略奪に関してもルールと方針の徹底がされていない

   チームに統率力がない状態は中期的には負けを呼び込む

 

●ポルトガルのルイスフロイスが布教にきた

☺フロイスが上手だった点

 →利益・メリットを提示した。布教するにあたり権力者に近づいた

   大名に対し領内での許可を根回ししてとった

 

江戸時代

●家康が基本設計→秀忠→家光が忠実に引き継ぎ地盤を固める

☺家康は人の使い方、人材登用がうまかったと思う

 信用できるなら外国人も採用した(ウイリアムアダムス)

 参謀に天海を置いたのも大きい

 →江戸の防衛と町づくりに大いに貢献

 家康は幕府運営の基本仕組みをつくるのが上手かった

 武家諸法度をつくってルールも明確化

 大名の力をそぐのに巧妙な参勤交代制

 方針に逆らった大名はとりつぶす戦略

 

●家綱以降は文治政治へ

☺徳川時代が長く続けたのは、時代の変化に対し

 統治方法を途中で変えたこと

 なかなかこれはできないことで

 だいたい3代でお家がつぶれるというのは

 先代がやってきたことをただ守ろうとして時代の変化に

 対応できないケースが多い

 今の企業を考えてみても同様

 

●朱印船貿易に幕府は積極的

☺基本的に貿易は儲かる。貿易できる権利を独占すればなおよし

 幕府は幕府管理下以外の貿易を禁止(鎖国)

 権力者は利権を独占しようとするのは常

 

●オランダ風説書で海外の情報入手

☺幕府が上手かったのは、海外の情報を入手する仕組みを作ったこと

 情報が少ないと時代の変化についていけず負けてしまう

 当時の徳川幕府の官僚は、情報リテラシーが高かった

 

●地方でとれたものを江戸など人口密集地に売る

☺特産品の開発と、海上輸送の発達

 今は、輸送ルートが整備されかなり時間も短縮された

 商売の基本→見込み客が集まっているところで売る

 という根本は変わっていない。手段が時代とともに

 新しいテクノロジーで変わっていくだけ

 

●吉宗は農民に米をたくさん作らせて失敗

💀政府は米を増やし収入を増やすつもりであったがそうはいかず、

 米価は下落しそれを換金する政府の収入も減る

 その後、田沼意次の商業重視の貨幣経済導入

 →再び農業重視(米生産重視)へ短期でめまぐるしく政策転換

 1つのやり方がうまくいかなくなると

 次に真逆のやり方(政策)に傾くことが多い

 

●農民の不満たまる→一揆の多発

💀政治がひどすぎる

 物価が高すぎる

 →打ちこわしや一揆の多発

 今なら、デモや文書や直訴、メディアの利用(タレコミ)など

 

●松平定信の寛政の改革失敗

💀思想統制で締め付けすぎるのは良くない

 禁止や強い締め付けは、歴史上うまくいった試しがない

 文化も萎んでしまった

 

●家斉在位50年続く

💀幕政腐敗、賄賂横行、次の将軍への引継ぎも問題

 長い政権にはこのようにデメリットが多すぎる

 最初から最長任期の限度を決めるのが良い

 賄賂、金で買収や一部のコネ優遇が横行し

 取り巻きも金に集まってくる汚い人でかたまる

 これを政治腐敗という。現代でも起こっている

 

●清の敗北

☺西洋諸国の圧倒的な軍事力を知る

 これを対岸の火事ではなく、我が身にとって他山の石とする

 世界のパワーが軍事力で動いていることに気づく

 変革の必要性を認識し、すぐに動いた当時の日本のトップは機敏◎

 西洋列強に対抗するためには海外の最新技術を学び

 取り入れる必要あり。今でも最新テクノロジーの取り入れは重要

 日本だけしか見てない

 かつ情報不足等で世界の変化を察知していないと

 力の波にのまれて存在すらできなくなる

 

●日本開国

💀輸出超過になり、国内物資が不足。物価上昇→社会不安へ

 貿易統制も物価統制も幕府は失敗

 貿易外交で西欧諸国にやられた格好

 貿易の世界は、交渉力含めズルがしこい方が勝つので

 そのあたりが当時日本は弱かった(外交交渉力弱かった)

 →中央集権国家を作って国力を高めないと外国に対抗できない

 それをするしか選択肢がなかった

 うまく業態転換を成し遂げたと言っていい

 現状の延長戦では今後国としての維持は難しくなる

 これは今の日本の状況と一緒

 

明治時代

●西洋列強に学ぶ

☺自分より優れているものからはどんどん学ぶ

 これは日本が昔から素晴らしかった点

 大金を払ってまで専門家を雇って勉強する

 留学し現地にいって優れているところを学んでくる

 福沢諭吉や伊藤博文、いわゆる長州5など

 一方で、今の日本、特にある程度

 経済発展し豊かさを一旦享受してからは

 日本にハングリーさがなくなった

 現状維持にしがみつこうとする人が増える

 これでは不利な環境下でどんどん国力は下がっていく

 今こそ教育に力をいれて学びなおすべき時

 

●明治政府の主な施策→地租改正、廃藩置県

☺陸奥宗光の提案で、米から現金での税金支払いへ

 業務効率化を成し遂げたのはスゴイ点

 だが、貧富の差を生む

 

●富国強兵

☺でかい工場つくり(富岡製糸場など)モノを作りまくる

 海外へ売って儲ける。政府は工場建設支援推奨

 稼いだ金を軍事力強化へ

 

●大日本帝国憲法発布

☺西欧諸国と外交・交渉するには自国の法律の基準となる憲法が必要

 ギリギリ間に合わせた感じ(良く間に合った)

 当初、日本は外交慣れしていないため不平等条約を結ばされる

 ※対イギリスやアメリカ、領事裁判権なし、関税自主権なし

 →のちに不平等撤廃に成功

 

●日英同盟で日本は成り上がりに成功

☺孤立して一人で戦うのではなく、パートナー選びが重要。

 イギリスと手を組んだのは彗眼。

 財政の援助もイギリスのおかげ。

 日英同盟があったから日露戦争でもなんとか日本は勝てた

 逆に太平洋戦争での敗因の1つ→日本はアジアで孤立してしまった

 ご近所で補給路の確保など手を組む仲間を作って

 おくべきだった

 

●明治政府(薩摩・長州出身者)による政策決定独占に国民は不満

💀権力が一部(のグループ、政党、派閥)に集中すると

 やはり問題が起こることは歴史が証明

 公平さ、平等さが失われる

 →自由民権運動、大正政変へ

 

●首相がころころ変わる。軍が力を持つ

 ※ローマ帝国の軍人皇帝時代を彷彿

 

●第一次世界大戦で日本は好景気に

☺ヨーロッパは戦争で物資が足りない

 →そこへ物を売り込め!当時の首相大隈重信

 資本家たちが資金力つけ発言力ももった

 

●1918年~原敬内閣から政党政治始まる

💀1920年代以降、政党政治で政争や汚職が多発

 政治家はさらに金に汚くなっていく

 (普通選挙で規模が大きくなり、よりお金がかかるように)

 労働者や軍人は不満鬱積、政治家の暗殺も起こる

 

●アメリカ発の世界恐慌 過剰投資過剰生産、バブル崩壊

💀恐慌後→ブロック経済へ

    自国の需要を守るため他国製品占め出し

    輸出の不振

    植民地もたない日本やドイツ苦しくなる

    →新たな市場求める=他国侵略へ

    財閥・資本家も軍部に協力

    政治に失望した国民も軍部に期待

    軍部は陸海で対立

 

●アメリカと日本は、中国と満州の利権争い

💀資源など利権の争いは世界各地で現在も行われている

 ※利権争いは世界でなくならない

 

●東南アジアの資源確保を目指し日本軍が進出

💀アメリカとの貿易で資源を止められたら

 資源のない日本は血液を断たれたのも同然

 戦略なき危機感からの東南アジア進出はやはり無謀だった

 一方、無条件撤退(ハルノート)の条件を流石に飲めなかった

 

●太平洋戦争の直前、日本はABCDラインで経済制裁を受けていた

💀経済力と資源もない状態で、気合だけでは戦うことはできない

 日本は既に包囲され孤立化(無力化)させられていた

 

●東南アジア経営で失敗

💀日本は東南アジア諸国を欧米列強の植民地から解放

 しかし、経営統制力や戦略がなかったのでうまくまとめられず

 現地も混乱

 日本には工業力も生産力もなかった

 

戦後

●1985年プラザ合意

 アメリカの貿易赤字解消のため各国はドル安を容認合意

☺日本は円高になり輸出が厳しく→金融緩和でお金を借りやすくする

 状況がある一方向へ流れすぎると、

 それを修正する反対の動きが起こる

 

●TPP(環太平洋連携)2015年

 協定国間の関税引き下げ撤廃へ

 各国の輸出入を増やし経済活動活発化へ

 貿易を蜜にすることで、戦争の抑止効果を生む

 中国は独自の経済圏を構築し対抗

国として孤立化してはいけない

 ※孤立化は戦争を生む

 

目

以上、主に2000年間ほどの歴史の

ターニングポイントとなった出来事をとりあげ

それに対する当時の為政者の対応対処から

教訓を拾い出しました。

 

教訓のまとめ

    下矢印

今までとは新しいやり方の導入で現状打破

 →新しいテクノロジーを上手に活用し効率化せよ

新しい市場を求めようとするフロンティア精神を失うな

拠点となる場所選びは重要

戦略を持たずして経営できず

孤立化するな、良きパートナーと手を組め(権威を借りる)

経済力と資源をもて、まず財源の確保が重要

内部がまとまらず対立状態では勝負に勝てない、内部統制統一が重要

権力の集中は公平さと平等を奪い不満ためる、権力集中しない・できない仕組み

内政と外交は車の両輪でどちらも大事

最新の情報を外から学び取り入れる、外交も積極的に交流せよ

やり方・基準・ルールを統一せよ