山手線駅名の由来 | 【らくーん別邸】50歳から体調も運気もグイグイ回復

山手線駅名の由来

僕は全国47都道府県の

あちこち行っていた人なので

地名などにはもともと興味があります。

実に面白いし興味深いですよね~

 

今日は

山手線の駅名の由来をみてみましょう^^

📚「地名の由来辞典」より山手線駅名由来、有力説を紹介

 

東京→1868年発せたられた詔勅により江戸から東京という名前に

有楽町→戦国武将織田有楽斎の屋敷があった

新橋→汐留川の新しい橋

浜松町→江戸時代の名主になった権兵衛の出身地が浜松

田町→田園地帯

品川→砂川という川の古い名前が変化

大崎→江戸湾につきでた岬

五反田→かつて五反=1500坪の田んぼがあった

目黒→目黒不動。※駅は品川区に存在

恵比寿→恵比寿ビール工場

渋谷→昔入り江で塩谷の里。低地がしぼんだ谷。川の水は鉄分を含む赤さびシブ色→シブヤ川

原宿→原っぱに休憩所を出し宿場となる。江戸幕府前から原宿と呼ばれた

代々木→村人が代々サイカチの木(マメ科)を生産

新宿→高井戸~日本橋の間の甲州街道の新しい宿として開かれた

新大久保→大久保には大きな窪地があった

高田馬場→高台の田んぼに馬場があった

目白→目白不動

池袋→西口側に袋形の丸池があった(現在埋め立て→公園)

大塚→大きな古墳・物見台があった(昭和初期に削り取られた)

巣鴨→湿地帯。大池に鴨が発生し巣をつくった

駒込→馬を追い込む牧場があった

田端→田んぼのはずれに集落ができた。一帯に田畑が広がる

西日暮里→日暮里町が西と東にわかれ駅が西につくられた

日暮里→新堀。高台からの景色が素晴らしく1日居ても飽きない里の意で日暮里

鶯谷→寛永寺の住職が京都から鶯を運ばせ鶯の名所

上野→平安時代小野篁が上野国(群馬)の任を終えこの地に館建てしばらく滞在

御徒町→江戸城や将軍の護衛を行う御徒町の居住地

秋葉原→火除けの神・秋葉神社の神領

神田→神田明神

 

 

それぞれの土地、駅名には歴史があり。

それを知ることは有益です!