一人の勝手な行動・暴挙が国全体・国民に不利益をもたらす
歴史を振り返ります。
身勝手な行動が、国全体・国民にあとあと
ずっと不利益を生んだ事件は過去いくつもあります。
1895年、日清戦争後の下関講和条約にて
交渉期間中に、李鴻章(りこうしょう)が日本人に
銃で撃たれてケガをする事件が起きる。
日本側の交渉人は、伊藤博文、陸奥宗光ら。
陸奥宗光は、交渉を有利にするための策をめぐらし進めていたが
その事件があったため、日本側は譲歩する形となった。
1891年、大津事件。ロシア皇太子を、警護の警察官が
きりかかるという大事件。その後、明治天皇みずから謝罪した。
一人あるいは少数派が暴走して勝手な行動をすると
せっかくまとまりかけた全体の交渉や話し合いに水をさし
途中まで進めていた作戦も変更しないといけなくなります。
国民全員が不利益を被るということになりかねません。
全体を考え、一致団結して
重要な交渉にのぞむのが鉄則であり
歴史的な教訓です。