いつもいい記事をありがとうございます。

 

 好奇心と無関心、同じ意味ではなさそうかも。

 

 何かを継続しているとき、好奇心があれば、継続できるだろうし、無関心になったら、ストップがかかるかも。

 

 平凡な日常がイイ、と感じていれば、才能に恵まれて能力を発揮しまくり、天才と呼ばれることに興味を無くすのだろうか? かも。これは、極論かも。

 

 何かを続けていくと、どこかで境界線に立つことがあるかも。考えようにもよるけど、どちらを選んでもそれぞれ正しい、というか、そういう場所かも。

 

 そこで、どちらも選択できる人間というのは、稀かも。

 

 どちらも選択しなくて済む、という方法は存在する気がするかも。多くの人間が、どちらも選択しない、ということを選んだ経験があるのではないか? と感じたりするかも。

 

 それでいいと思うかも。どちらも選択しない、という選択肢があってもいいのではないか? という気がするかも。

 

 多分、誰とも離れることになって、多分、退廃してしまって、ということになるけど、かも。

 

 よく考えてみたら、そういうのが無関心、というのか?

 

 生きていて無関心に好奇心を持つとか?

 

 好奇心に無関心なら、どこかでストップがかかりそうだけど、無関心に好奇心を持ったら、何か面白いことが起きそうな気がするかも。

 

 怠惰であることに関心を持つことは、それはそれで、いい結果が出る気がするかも。

 

 結構、無茶苦茶なことを書いているかも。

 

 乱文乱筆、お許しください。

 

 皆様のご健勝をお祈りします。