特集 「透明な力を 災後の子どもたち」から 「仮設暮らし」を転載します。
第2部・仮設暮らし(3)体育館の生活、友と本が救う
吉里吉里保育園で友達とおしゃべりする未来ちゃん(中央)。園舎も津波で被災し、プレハブの仮園舎で保育を続ける 津波のことはあまり思い出したくない。でも、その後の避難所生活は意外に楽しい思い出だ。
岩手県大槌町の山崎大悟君(15)=吉里吉里中3年=と大陽君(12)=吉里吉里小6年=の兄弟は、津波で自宅が被災した。
母さゆりさん(41)、姉早希さん(17)=宮古商高2年=、弟の未来ちゃん(5)の家族5人で町内の仮設住宅に住む。
2011年3月11日。小学生だった2人はそれぞれ、学校の教室にいた。校舎が激しく揺れ、校庭に避難した。さゆりさんと未来ちゃんも間もなく校庭にやってきた。
黒い波が、海抜約20メートルの小学校近くまで迫った。より高台の寺へと逃げた。大悟君は未来ちゃんを背負って走った。大陽君が振り返ると、津波に家々がなぎ倒されていくのが見えた。
大陽君はさゆりさんが心配になった。姿が見えない。「どこに行ったの」。一人で泣いた。
さゆりさんは、勤務先のレンタル店の鍵を閉めるため、町中心部に行っていた。危うく津波から逃れ、走って戻ってくると、ぎゅっと抱きしめてくれた。「母さんが生きててよかった」
吉里吉里中にいて無事だった早希さんが翌日に合流し、小学校の体育館で避難生活が始まった。
最も多い時で約300人が身を寄せた。1人布団1枚分のスペースしかなく、ゴルフボールぐらいのおにぎりだけの食事が続いた。
大陽君は、余震が怖くて寝られなかった。ぜんそくもひどくなり、救護室で、酸素吸引する日もあった。
避難所生活は、悪いことばかりじゃなかった。いつもなら遊ぶ時間が限られる友達と、ずっと一緒にいられたからだ。
図書室がもっぱらの遊び場になった。震災前と変わらず好きな本も読め、心が落ち着いた。
さゆりさんは浸水を免れた自宅2階からおもちゃを持ち出し、みんなのために渡した。
3月29日、6年生だった大悟君は卒業式に臨んだ。会場は視聴覚室。先輩たちのように将来の夢を語る場もなく、あっさり終わった。卒業した実感は湧かなかった。
中学生活のために準備していた学用品は津波で流された。制服は支援物資で調達し、かばんなどは卒業生からお下がりをもらった。
学校指定の運動着だけが足りなかった。運動着を野良着としていた近所のおばさんがいた。さゆりさんが頼んだら、「こんなんでいいの?」と手渡してくれた。穴が空いていたが、ぜいたくは言ってられなかった。
大陽君は、津波のことは多くを語らない。ただ、今住む仮設住宅は海抜70メートル。高台に移ったことで恐怖は少し和らいだ。
2014年02月14日金曜日
第2部・仮設暮らし(4)伝統の担い手、止まらぬ減少
神社に大神楽を奉納した後、被災した吉里吉里を歩く大悟君(手前右)と未来ちゃん(同左)=1月1日午前 軽快なおはやしが寒空に響く。枯れ草が揺れる更地に、はんてん姿の子どもたち。獅子頭が躍動した。
ことしの元日の朝、岩手県大槌町。吉里吉里中3年の山崎大悟君(15)は、地元の大神楽保存会の一員として、地区内を練り歩いた。
一行は約30人。中学生以下の子どもが約3分の1を占める。最年長の大悟君は、難易度が高い悪魔払いの踊り「四方固め」を神社に奉納した。
津波で自宅に住めなくなり、母さゆりさん(41)、姉早希さん(17)=宮古商高2年=、弟の大陽君(12)=吉里吉里小6年=、未来ちゃん(5)と仮設住宅で暮らす。
大神楽には未来ちゃんも参加し、元気よく鐘を打ち鳴らした。風邪をひいてしまった大陽君は参加できずじまいだった。
大神楽と虎舞、鹿子踊(ししおどり)は、江戸時代から続く吉里吉里地区の郷土芸能。地元の子どもの大半は三つの保存団体のいずれかに入っている。
大神楽の獅子頭や山車は津波で流された。民間団体の支援で道具をそろえ復活したが、保存会会長の平野栄紀さん(59)には気掛かりなことがある。
震災を機に地域を離れる人が増え、少子化に拍車が掛かった。将来、伝統の担い手が不足する恐れがある。
吉里吉里小と吉里吉里中の児童・生徒は合わせて約180人。震災前より80人近く減った。その影響は、学校の部活動にも影を落とす。
吉里吉里中の部活は野球、男女のバレーと卓球、音楽だけ。バレー部だった大悟君は昨年夏の引退後も、練習試合などに駆り出されることが多い。後輩が2年生4人しかいないからだ。
チームは昨秋、釜石・大槌地区の新人大会に出場できなかった。震災前まで大会で競った4校のうち、1校は廃部になり、別の1校も部員がそろわなかった。残る1校が予選なしで県大会に進んだ。
今春、中学生になる大陽君は「おれがやるから大丈夫」と、友達を誘ってバレー部に入るつもりだ。廃部の危機は何とか免れそうだ。
元日の大神楽は約3時間かけて、仮設住宅や災害公営住宅など7カ所を回った。解散する前、大悟君や未来ちゃんたちは、住民からのご祝儀をお年玉として受け取った。
子どもたちの笑顔を見つめ、平野さんは願った。
「震災を乗り越えた伝統芸能を途絶えさせたくない。この子らが教わったことを、年下の子にも伝えていってほしい」
2014年02月15日土曜日
第2部・仮設暮らし(5完)家族を思い、早く社会人に
山崎さん一家が暮らす仮設住宅団地。被災した吉里吉里のまちが見下ろせる 「自分の好きなように生きなさい」。母はいつも力強く背中を押してくれる。同時に「安定した仕事に就いてほしい」とも願っている。
岩手県大槌町の山崎早希さん(17)=宮古商高2年=と大悟君(15)=吉里吉里中3年=のきょうだいは、そんな母の気持ちに添いたいと思っている。
2人は、母さゆりさん(41)と弟の大陽君(12)=吉里吉里小6年=、未来ちゃん(5)の5人で吉里吉里地区の仮設住宅に暮らす。
母は震災から約1年半後、父と離婚した。町内のレンタルビデオ店に勤めながら、自分たちを育ててくれている。
早希さんは、高校を卒業したら、地元を離れて働くのがいいかな、と考えている。
片道1時間かけて高校に通う。震災後、地元志向が強まり、同級生の大半は大槌高に進学した。自分は少し違った環境に身を置きたかった。
中学校の同級生は一人もおらず、不安もあった。今は友達もできた。世界が少しだけ広がった気がする。
狭い仮設住宅での暮らしがいつ終わるのか、見通しは立たない。自分が家を出た方が、家族のためになるかもしれない。ただ、できるだけ母の近くにはいたい。
希望の職業を早く見つけ、県内で安定した仕事に就こうと思う。
大悟君は、地元に残ろう、と思っている。もうすぐ高校受験。大槌高への進学を目指す。
町は震災で、人口の8%近い1284人が犠牲になった。家屋の6割が被災、三陸沿岸で最も深刻なダメージを受けた。
一番の遊び場だった吉里吉里の海辺も変わってしまった。簡単に釣れたアジなどが、あまり釣れなくなった。自転車で走り回った海岸公園周辺は、復旧工事の資材置き場に変わった。
それでもやはり、楽しい思い出が詰まったこの地に住み続けたい。
家計が苦しいのは、分かっている。奨学金をもらって大学や専門学校に進学するよりも、高校を出て、働くつもりだ。
夢は役場職員。漁業以外に目立った産業がない町では、最も安定した仕事に見える。それに、町の職員になれば、古里の力になれるとも思う。
震災から間もなく3年。復興の歩みは子どもの目を通しても遅い。「元のようになるのには10年、20年とかかるかもしれない」
でも、きっと再生できると信じる。「遊び場だって、すぐに別の場所に見つけられた。町は傷ついたけれど、決してなくなったわけじゃないんだから」
(震災と子ども取材班)
2014年02月18日火曜日
・・・・・・・・・・・・転載おわり。
去年、福島県のある店舗に半日いたとき、スピーカーは地元のFMを流していて、
絶え間なくといっていいくらい頻繁(ひんぱん)に、県内各地の放射線量を伝えていた。
それで被災地からどれだけ離れたところに自分がいるのかを実感した。
これからも自分のできることを淡々とやるしかない。
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なんの不足もない自室のテーブルの前では、集中力がはたらかなくなるときがあります(;^_^A
そんなときは環境を変えるため、近くのモス・バーガーに行ってノートを広げます。
それをモス勉(もすべん)と呼ぶ(*^o^*)
今日久しぶりにモス勉に行ったら、「今日はモスの日です! 」と花のタネをいただきました。
ラッキー!
気になったライスバーガーの「さば味噌」とホットミルクティーをいただき、
ひんやりした「さば味噌」をはさむ熱いライス。
熱い思いとクールな頭脳。はかどりました(^_^)v
楽体院

