立春前に手離した物 | 楽笑倶楽部

立春前に手離した物

るり子です♪

 

昨日は、立春。

母の命日でした。

 

前日に札幌の仏壇に置いてあった両親の遺影を手放しました。

 

きっかけは、昨年秋に実家の奈良に帰省した時の家族の一言。

「奈良でも札幌でも両親の同じ写真が置いてあるね」みたいなことを指摘されました。

何気なく出た言葉だとは思うんだけど、それを聴いた私は、「ハッ❣」としました。

 

「とっくに肉体を離れた両親を今も奈良や札幌を行き来しながら、捜し歩いていたのかもしれないなぁ~」と。

自分の行動を振り返った時、家族に言われた言葉と合致しました。

 

私は、まるでこの世を彷徨い歩いている子供のようだ。

 

両親は、どこを捜しても本当にこの世にいない。

 

全く自覚していない行動でしたが、その事実を認められた時に、たくさんの涙があふれてきました。

 

もちろん、両親は肉体を離れて楽になったし、別の次元に行っても応援してくれていると頭で理解はしていても、心がついていっていなかったようです。

 

「そっか~」

「ずっと捜してたんだね~」

 

心の中で、自分の中のインナーチャイルドにも話しかけるように、自分にも言い聞かせていました。

 

同時に、凍り付いていた孤独な塊みたいなものが溶けていって、温かくて優しい感覚が溢れてきました。

 

☆…☆…☆…回想は、ここまで★

 

昨年秋の気付きから、「札幌の仏壇に置いてある両親の遺影は、もう飾らなくていいかな?」って自然に想えるようになりました。

色んな表情をした両親の記憶&たくさん注いでもらった愛が、手放した遺影の代わりに蘇ってきました♪

※元々、フォトスタンドサイズの額部分は大げさな気がして、数年前から外して、写真だけ並べてありました。

 

さすがに、今回は少し手放すのに抵抗を感じました。

 

その時に、息子のことを想いました。(←これは、効きます❣)

※自分が亡くなったら、残された人に良くも悪くも引き継がれますからね。

 

もし私が死んだら。。。

いつまでも一人息子が、仏壇に私の写真を観て、拝んで欲しいとは思わない。

誰よりも幸せを感じて生きてくれれば、それだけでいい。

 

 

☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

 

 

今回は、過去や未来にまで想いを馳せた、めちゃくちゃ個人的な振り返りブログになりました♪

 

◎エゴや思考と呼ばれるものは、本当の私ではない。

◎今此処が、全て。

 

昨年の秋頃から、たくさんの情報として、悟り系の話は、得たかもしれないけれど、「私」としての意識で手放していくのも、まだまだ好きなんだなぁ~と自覚しつつ。

※書くことで、手放すということもしてます。

 

読んでくれた方の何らかのお役に立てれば幸いです。

 

最後まで読んでくれて、ありがとうございました❣

 

写真は、思考が湧いてこず、虚無感を味わった時の様子を落書きしてみた♪

口元が微妙。人間にするか?猫にするか?迷いがある(笑)

 

ネドじゅんさんのイラストが、いつもイメージに出てくるので、

自分バージョンを落書きしていた時のもの※結局、猫寄りになった♪