今日は長岡天満宮の梅を見てから向日市の長岡宮の遺跡を見て北上し、梅小路公園の梅林に寄って、阪急大宮までの梅尽くしのロングスパンを歩きます。

7時過ぎに長岡天満宮に到着。鳥居の外の梅もこんなに咲いています!

鳥居の両足にそれぞれ紅梅と白梅が描かれている程なので、梅の木が多いだろうなと思っていました。


見事な枝垂れ梅❣️境内がとっても華やかに。


降って来るような梅に圧倒されます。


本殿前には白梅も紅梅もあり、とても華やか❣️


そして裏手に梅林もありました。朝なので誰もいません。

最も濃い赤のカゴシマコウバイ

ベニチドリ。絵に描いたような梅花の形です。

薄ピンクのこれは何だっけ?

アオジクウメ

けっこう満開過ぎて散っている木も。静かに香る梅林を満喫しました❣️

曇空で暗かったので、参道の灯りが映えます。

広大な九条池を望む大木も。


さて、天神さんから次は長岡宮跡を目指して北上します。小畑川に架かるは一文橋。昔、洪水で何度も橋が流され、通行人から1文取って架橋の費用に充てていたからと言うことです。

橋を渡って西国街道に入ると急に道が綺麗な石畳になって、市が変わって向日市に入ったことがわかりました。このような町家があって、風情のある道です。

阪急西向日駅前には

この様な観光案内タッチパネルがあり、何の予備知識も持たずに来たのでまず見所を検索しました。なんて便利なんだ〜!感謝です。

そしてまず西向日駅の地下道で線路の東へ出て、築地(ついじ)跡へ。これは朝堂院など、長岡宮の役所を囲む塀の跡です。


道の左側がちょっと小高くなった土手です。

当時はこの土手の上にこんな塀を立てていた様です。

次に線路の西側に戻って朝堂院跡へ。とても広々した公園になっています。

柱跡までちゃんと再現されています!

現在地が分かる案内板があり、今どこなのかよく分かります。公園の敷地が赤囲みの部分で、その中の現在地は朝堂院南門の前の楼閣辺りです。

当時はこんな感じで楼閣が左右にあって、真ん中が南門です。朝堂院はその名の通り、日の出から午前中だけ開庁していた役所で、役人がそれぞれの部署から天皇に決済を仰ぎにくる所です。次に行ったところの襖絵にその模様が描かれています。それにしても日の出から開庁って、昔の人は早起きですね〜。電気がないから日の光を最大限に利用していたんですね。

この公園には案内所があって、

中にはこの様なお堂の模型。朝堂院の中にはこのお堂が東西4堂ずつ、8堂建っていました。

出土品も展示してあり、何といっても案内の方がとても詳しく説明して下さり、長岡宮について全く無知だったのが、一気に理解が進みました!ありがとうございます。

そしてパンフレットも頂いて、遺跡を回る順序をアドバイスして下さり、それに従って次は線路西側の内裏(大極殿)築地跡へ。大極殿は防犯上、外郭築地、内郭築地の二重になっており、こちらは外側の方。

後で行く資料館にありました。この様に瓦が載っていたんです。これが長く続いた塀になっていました。

蝋梅が咲いていました❣️


本日の一歩き一句

「蝋梅と いづれ はかなし 長岡の宮」

勝手な解説→たった10年の長岡宮と蝋梅の花はどちらが儚いのだろう。

次は内郭築地跡がある旧上田家住宅へ。すごく立派な豪農の住宅を向日市が買い取って保存館にされています。


この辺りが内郭築地跡でしょうか。

発掘当時。

そしてこの住宅、遺跡よりも内部の町屋としての建物の美しさに感動しました。

玄関から土間が続き

朝堂院の襖絵のある部屋


その部屋の前に余りにも立派なおくどさん!

こんなたくさん鍋をかけられるのは初めて見ました。5口も有ります!今も行事で使われているそうです。


朝堂院の襖絵の部屋の奥はこんな広い二間続き。


障子の下半分がガラスで、座ると美しいお庭が見える作りに!

庭の前の広縁の奥に、素敵な小部屋が。

ミシンルームでした!日当たりの良い素敵な部屋です。実際この家に住まれていた女性の方が使っていた様です。舶来のミシンで、かなりの豊かな豪農のお宅だったんです。

この井戸も、珍しく室内にあるのです!

坪庭の向こうの離れ風の建物と繋がっています。

若夫婦の為の離れ。相当立派で、上がれませんが2階もありました。

こちらは今もお茶室としても使われています。炉を切ってあるんです。

立派な蔵も有りました!広いお部屋の様な内蔵。今はギャラリーとして利用されていました。


本当に美しいお家でした〜。しかも無料で入場できる上、親切な解説員の方の説明付き!!!向日市さん、太っ腹過ぎ〜!!

次に大極殿跡に向かいますが、長くなったのでいったん終わります。

2024.2.17