今日は前々回に通った、平安京内裏跡が次々現れる下立売通とその界隈をもっとくまなく歩いて、平安京を探しに行きたいと思います。阪急大宮スタートで、大宮通りを北上。お寺と町家があって、落ち着いた通りです。

お店の店先に綺麗なお花❣️


三条商店街を横切り

ずっと北上すると

このような路地を入った裏長屋的な建て方の家がけっこうあります。


こちらは明治の建物!?今は宿泊施設のようです。


更に北上すると、二条陣屋。陣屋とは城を持たない大名の住まいのことらしく、隠し階段等、大名の警護的な設備のある重要文化財の屋敷です。

そして神泉苑に出ます。

お池から上がって休む白鳥❣️



都名所図会にも載っています。今は多宝塔は無いですが、桓武天皇が建てた平安時代からある神社で、湧水が広大な池となっていて、日照りの年に空海が雨乞いをした神社らしいです。が、家康による二条城の建設で、神泉苑の水をお堀に使う為、池の大半を取られ、敷地は16分の1へ。

右ページ拡大

左ページ拡大。既に二条城が描いてあるので、これは縮小した後の絵ですね。実際の池はこれよりは小さい感じがするのですが、江戸時代はまだ御池通りが狭い道で、そこから現在のように拡幅されて更に池が小さくなったのかも。御池通りという名称も、日照りの年には人々が水をもらいにこの通りをやって来たから付いたそうで、京都の人はお池と言えば神泉苑なんですね。ちょっと今の神泉苑の池からは想像がつかないほど大きかったんですね〜。

二条城の南西角を北上します。

これは外堀の西門ですね。

二条城の北に二条公園。お城風な感じです!


でもここは単に二条城風な公園というより、平安京では太政官、宮内省の置かれた重要な場所だったようで、江戸時代にも京都所司代屋敷が置かれ、ずっと政治の中心だった跡地を保全しているんですね。

既に平安京の敷地に入っているとは気付きませんでした!南北に長い二条公園を通り抜けます。


丸太町通を渡って更に北上し、目指す下立売通とクロスしました。山中油店さんのある通りで、

水車のあるお庭を作って本御所跡として保全されています。(1月13日のブログに書いています)


向かいにも内裏跡として美しく保全されたスペースがあります。

更に西に行くと内裏の内郭回廊跡。


東に戻って智恵光院通りから下立売通の一本北の東西の通りへ入ると、松林寺さんの前に内裏東限と建春門跡。


この通りは特に名前は付いてないみたいですが、前に通った時に次々と跡地の看板が出て来て驚いたんです。(10月7日のブログに書いています)で、今月下立売通の山中油店さんの前辺りが御所跡だったと分かって、あれ?10月に歩いたのはこの辺だったのかな?となり、一筋北の通りであったことが分かりました。別々の日にバラバラに歩いていましたが、線が面になって平安京内裏を歩いているっていう実感が湧いた嬉しい瞬間でした!この名前の付いていない通り、細くて静かで全く観光化されていなくて、しんとした中に次々と跡地の看板が現れる不思議でトリップできる道です。

この駐車場?の様なこちらは内裏温明殿跡。三種の神器の一つ、神鏡の安置されていた建物の跡地らしです。

またすぐに内裏昭陽舎跡。後宮七殿五舎のうちの一つ。別名梨壺。庭に梨の木を植えていたので梨壺。(女御達は住んでいた部屋の名前で呼ばれており、何年にも渡り何人もの女御や更衣が住んでいたので、梨壺というだけでは一人に特定はできないようです)


更に行くと、承香殿、弘徽殿の跡地にそのままの名前を付けた宿泊施設が!










平安時代は一夫多妻制なので、天皇の住む清涼殿の北側に廊下で繋がった女御達のお部屋が七殿五舎あったんですね。確か源氏物語では身分の低い桐壺の更衣が天皇の寵愛を受けて廊下を渡っていく時に散々な嫌がらせを受けた、というくだりがあったような気がします(ちなみに桐壺は淑景舎。右上端の方で1番遠そう)。嫉み渦巻く狭い社会だった訳です。ここか〜と、感慨深いです。

更に清涼殿跡。民家の壁の前に看板があります。

そこから北に上がるとこれまた民家の前に凝華舎(梅壺)、飛香舎(藤壺)跡。

看板を読んでいると、フワリと梅の香が!梅壺だから?


本日の一歩き一句


「梅壺の 残り香あらん 冬土用」


勝手な解説→立春前の寒い冬土用の日、いにしえの梅壺の残り香だろうか?まだ咲いてないはずの梅の香りがしたよ。(でもよく見ると咲き始めた梅の木が真下に飾ってあってそれだった〜)

今年になって始めた一歩き一句、女御達は歌の才能があって常に作っているので、ちょっとそのおこぼれに預かって少しマシな歌が詠めたようで、この地の持つエナジーを感じました〜❣️やはりこの界隈は特別なパワーに満ちている気がします。ちょくちょく来たいと思います。

更に北上すると内裏欄林坊跡。欄林坊とは、皇位継承に関わる大嘗祭を行なう物品の保管庫らしいです。


この辺で内裏北限でとなり、平安京とさよならして、道を変えて浄福寺通を北上します。

路地が多いなぁと思っていましたが、この西陣ろおじは、商業使用している?入ってみます。

いや〜細い。1人通れるくらいです。

おっ!


とても綺麗です❣️

長唄のお教室かと思ったら、宿泊施設なんですね!

「西陣ろおじ」さんのホームページを見ると、江戸時代がコンセプトの宿泊施設で、とても素敵です〜❣️泊まりたい。

カフェやアクセサリーのお店もあるようです。今度じっくり見てみたいと思います。

更に北上して浄福寺通の名前の元となる浄福寺さん。

広い境内で誰もおらず、小鳥が木の実をプチプチつついている音だけがしました。

けっこういます。


浄福寺の北側に笹屋町通りという、西陣の織町と地図に書かれている通りがあり、初めて通ってみます。町家が多く、静かな素敵な通りです。





ここから北山の植物園に寄って帰ります。千家の官休庵のある武者小路通を通り


今出川通に出て同志社を通り抜け

寺町通を北上。西園寺さんの素敵な石庭を見て行きます。


そして山門から比叡山が真正面に見えて額縁寺と言われる天寧寺さん。


比叡山は雪ですね。

鴨川を出雲路橋で渡って

川べりの道、半木の道を行けば植物園はもうすぐです。

長くなったので一旦終わります。

2024.1.27