昨日は強風だったためか、北関東では久しぶりに笠雲が出現した。
同時に静止磁場変動も若干認められたため、幾分かの警戒を要する。
さて、他人様から聞いた話をそのまま記事にするのは憚られるので、
自分でも調べながら構成しようと努めている。
如何せん、能力不足のために雑な内容になってしまうのが歯がゆい。
”安土城の天守閣はカトリック教会のクーポラだった”
「織田信長の陰謀」シリーズ番外編といったところか。
安土城
天守構造
望楼型地上6階地下1階(1579年・非現存)
築城主
織田信長
築城年
1576年(天正4年)
主な改修者
羽柴秀吉
主な城主
織田氏、明智氏
廃城年
1585年(天正13年)
安土城は、織田信長によって、現在の安土山に建造され、
大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。
建造当時は郭が琵琶湖に接していた(昭和期に干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。)。
地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。
それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。
総奉行は丹羽長秀
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木内鶴彦氏によると、
安土城の天守はイタリア・ピサにある教会を模して作られたのだという。
GoogleEarth
有名なピサの斜塔と同じ敷地内には大聖堂と洗礼堂が建っている。
こちらはピサ大聖堂。
http://www.opapisa.it/en/miracles-square/cathedral/photo-gallery.html?no_cache=1&tx_photogals_elementid=706&tx_photogals_image=0
こちらは洗礼堂
GoogleEarth
歴史的価値が高いと言われる
太田牛一著 「信長公記」によると、
天正4年(西暦1976年)
”一月中旬から近江の安土山に築城を開始するよう、丹羽長秀に命じた。
二月二十三日、信長は安土城に移った。
天守閣は唐様に仕上げるよう命じた。”
とあるだけで、
設計段階でイエズス会宣教師が関わったという記録は見いだせない。
もし本当に安土城天守閣がカトリック教会のクーポラ(=ドーム)を模していたとしたら、
信長の入れ込みようは相当なものだったことになる。
(情報源と考えられる南蛮人=イエズス会宣教師の個人名はまだ不明)
信長の最終目的は日本国統一を遥かに越えて、
イエズス会を通じての(?)
世界の征服=バチカンの征服にあったのかもしれない。
木内氏は証拠を見つけたらしいので、そのうち公表されるだろう。
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