膨大な関連資料を収集して読むのはとても無理そうなので、
取り敢えず、歴史の定説から外れた説を読んでみた。

作品社刊 八切止夫著「信長殺し、光秀ではない」

光秀でない


現存する16世紀以降の文献を丹念に読み、各所の矛盾点を詳細に検討していて、実に興味深かった。
現在、普通に信じられていて(TVドラマや映画で演じられている)ことが、
後世の作り話による、事実の隠蔽なのだと納得させられてしまった。

本書の結論は:
信長は邪魔になった妻、「おのうの方」と家康を暗殺するつもりで京都に行ったのだが、

おのうの方は秀吉にも通じており、
同じ美濃出身であった光秀の家老「斉藤内蔵助」を実行部隊として信長のいる本能寺を包囲攻撃させた。


さらに著者は、
本能寺からほど遠くない所にある3階建ての南蛮寺(聖教会堂)から、
イエズス会の手の者が本能寺に「最新舶来のチリ硝石による新黒色火薬」を撃ち込んだのではないかと推測している。

上記解釈によると、信長暗殺の真犯人を隠蔽するために、
秀吉も家康も明智光秀を犯人に仕立て上げ、
真実を知る者を抹殺し文書には嘘を記録したということらしい。

 筆者はさらに、織田信雄が安土城を焼き払ったのは、
そこに居た、おのうの方を抹殺して証拠隠滅をしたのだという。
 
秀吉の天下取りが決定的になった「清洲会議」の重臣参加者のうち、
柴田勝家、池田恒興、丹羽長秀、織田信孝は会議後3年以内に抹殺された。

さらに、斉藤内蔵助の娘「おふく」が徳川家光の乳母として勤めたという事実は、
家康と光秀の家来である斉藤内蔵助との繋がりを裏付けている。
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結局 本書からは、信長が本能寺を生きて脱出したという記録を見いだす事は出来なかった。


 木内説から推測した当記事の観点は

・信長は光秀と共謀して、国外へ脱出した。

の一点にあるので、今後の課題としては、
信長と会ったことのある主だった外国人達、

ポルトガル人 ルイス・フロイス、
イタリア人  アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
       オルガンチーノ
イスパニア人 カリオン

等のイエズス会関係者を中心に、

その動向や文書を追跡しなければならないだろう。




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