理不尽に命を奪われた数万人の御霊安かれと思わずにはいられない。
私の幼少の頃、
祖母が終戦後、広島見学ツアーに行ったままなかなか帰ってこなかったというエピソードを父から聞かされた。
生前、祖母から直接この話を聞いたことはなく確認できずじまい。
その祖母は64歳の時、癌で亡くなった、、、、。
・・・放射能の影響は無かったと思う。
普段元気にしていると、自分のこととしてはあまり意識しない問題である、
人生の終末。
これをいかにして迎えるかは大問題なのに、身内に病人がいないかぎり現実問題としてはピンと来ない。
最近では「大往生したけりゃ医療とかかわるな自然死のすすめ」中村仁一著幻冬舎新書が話題になっていたが、タイトルは少し誇張されているようだ。
ブックマン社刊 長尾和宏著
を買ってみた。
以下、平穏死できるための10の条件を列記し、私見を添える。
第1の条件:平穏死できない現実を知ろう。
大病もしくは致死的な病気で入院すると、そのまま最期まで入院が続き、ありとあらゆる検査・治療が施される現実。
第2の条件:看取りの実績がある在宅医を探そう。
これは難しい。情報として在宅療養担当医をリストアップできても医師との相性もあり、現実には地域での口コミ頼り。
第3の条件:勇気を出して葬儀屋さんと話してみよう。
生きている間に、自分の葬儀方法を検討しておこう。
第4の条件:平穏死させてくれる施設を選ぼう。
施設にもいろいろあるので、自分がどのレベルの医療まで望むか次第か。実績のある施設を探すしかない。
第5の条件:年金が多い人こそ、リビングウィル(生前の遺言)を表明しよう。
財産は生きているうちに分配方法を明確にしておかないと、後々揉める。
第6の条件:転倒->骨折->寝たきりを予防しよう。
このパターンが本当に多い。寝たきりになった後は、肺炎、尿路感染と続くので、とにかく転ばない対策必要。
第7の条件:救急車を呼ぶ意味を考えよう。
もちろん、救急疾患・怪我の時は必要だが、終末期にある高齢者の場合、救急車を呼ぶことは蘇生とそれに続く延命治療への意思表示ということになる。
第8の条件:脱水は友。胸水・腹水を安易に抜いてはいけない。
食事摂取量が減り、脱水になっていけば、新陳代謝も低下して次第に衰弱していく。そこに無理矢理点滴をする必要があるかどうか。
第9の条件:24時間ルールを誤解するな!自宅で死んでも警察沙汰にはならない!
普段から訪問診療されていれば、最期の息を引き取った時に医師がいなくても慌てる必要は無い。まして救急車を呼んでも、呼吸停止・心停止していれば、警察を呼ばれてしまう。
第10の条件:緩和医療の恩恵にあずかろう。
痛いものは痛い。しっかり鎮痛剤を使って、苦痛から楽になりたいものだ。
医学が進歩しても、
おいそれとは自宅で平穏に死ぬことのできない時代になったと思う。
看病する家族の負担も極限に達するので、無理しないで良き施設を見つける方が現実的か。
自宅で家族に囲まれて最期を迎えるということが、人生最後にして最高の贅沢なのかも知れない。
クリック頂いて有り難う御座います。