元々カトリック教徒の多いフランスやスペイン、そして南米には何故か”黒いマリア像”に対する信仰が存在している。


その起源については幾つかの説があり、現地の伝説もなかなか興味深いものがある。




 各地には太古から大地母神信仰がベースとしてあり、古代ローマ時代にはエジプトのイシス(女神)が地中海沿岸へ広く流布されたようである。息子のホルスを抱くイシスの座像が、後のキリスト教で聖母子像の原型となったかのようだ。




 正史では語られない伝承として、イエス・キリスト処刑後に、身ごもっていたマグダラのマリアが、召使いのエジプト人サラやラザロら数人と船で南フランスのサント・マリー・ド・ラ・メールに漂着したと言われている。このサラという女性が、後にロマの信仰対象となったようだ。その後のマグダラのマリアと子の消息について僅かな伝承があるようだが、歴史の狭間に埋もれてしまった未知の情報を近々知ることができるかもしれないと期待している。

 福音書でイエスの身体を十字架から降ろして埋葬したと語られているハリマタヤのヨセフ(錫貿易商でラビだった?)と聖杯伝説も、ブリテン島におけるキリスト教起源と関連して非常に興味深いテーマではある。




私が個人的に興味を持っているのは、十字軍時代の出来事である。多分、過去生で初期の十字軍に参加したと思っている。エジプトにあった女神像をフランスに持ち帰って、熱狂的に迎えられ、ペストが治癒するほどの奇蹟が起こったらしい。その女神像が、現存する黒いマリア像のモデルとなった可能性もある。この関係で、イシスが私の守護神の一柱ともいわれた事がある。




 ちなみにスペイン在住でヨーロッパ事情に詳しい ひろみさん によると現地では黒ではなく、morena(褐色)という形容詞が使われているとのこと。確かに、黒人の女神なら起源はエチオピアかスーダンあたりになるかも知れない。スペインの人々の方がより正確な言い方をしているようだ。中南米にもこの信仰が流布しており、1984年にメキシコのグァダルーペ教会を訪問して聖母の絵を見学したが、確かに肌の色はmorenaに描かれていた。




 もう一つ十字軍で忘れてはならないのは、テンプル騎士団の業績。彼らがエルサレムに入城し、ある場所からユダヤの秘宝を探し出したという伝承もあるらしい。それが何であったか、どこへ持って行ったかについてサイキック情報を得ているが、そのうち書けるかも知れない。


イエス・キリストをめぐる謎は興味が尽きないのである。さらには、ヨハネ黙示録について語れるレベルになりたいとも思っている。



参考文献:

・「キリストと黒いマリアの謎」 清川理一郎著 2000年彩流社刊

・「THE CULT of the BLACK VIRGIN」EAN  BEGG著 CHIRON PUBLICATIONS

・「巡礼と民衆信仰」 歴史学研究会編 1999年 青木書店刊

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