お母さんとなって 

子どもと日々一緒に 過ごすのが私の夢だった。

 

 

もちろん 願ったって叶うとは限らず

 

願いが叶わなかったのならば

それは それで過ごしていこうと思っていたのだけれど

幸いなことに 2歳づつ離れて、3人の娘たちに恵まれた。

 

 

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孫が生まれても、私の両親は 自分たちから

積極的にかかわってくるようなことは全くなかったし

 

主人の両親とは 距離も多少あったり

初孫ではなかったり

どちらかというと 私も孫に近い年齢だったり??

 

私が 病院でなく助産院で出産した時点で

『ちょっと変わった嫁??』

異星人的に見られていたようで

これまた子育てについてあれこれ言われることはなくて

自分の思うように 子どもたちと過ごすことが出来た。

 

 

 

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子どもとの日々は

「子どもは 思うようにならない生き物」

そう思っていたので、子どもの行動で悩んだり

イラッとするようなことは あまりなかったのだけれど

 

 

主人の仕事の帰りが夜中なので

朝の数時間はパパがいるけれど

残りのほとんどは 私と子どもたちとの時間だった。

 

 

閉塞感や まるっきり自分の時間がないことで

息が詰まるような思いをしていたとは思う。

(もう その当時のことは正確には思い出せないのだけれどね)

 

 

でも、つらかったという感じよりも

本当に 好きなように

思うとおりに 子育てできたなぁ~ 

そう思う。

 

 

子どもの思うこと、感じることを一緒に味わって

そこに 添って暮らす。

 

 

 

子どもが泣けば

一緒にしゃがみ込んで 泣いてる気持ちを感じてみたり

出来ないことがあれば 悔しさを味わってみたり

 

 

それでも私の中には一線があったから

自分のことのように感じてしまい

焦ったり せかしたり

何かを強いるような気持にはならなくて

 

子どもは いつまでもこのままではない

いつかは 成長していく

その力を持っているし、そのペースはそれぞれ違うのだと

そこを信じることが出来たから

ただただ 横にいて見ていた。

 

 

 

眺めて、味わって 待つ

それだけ。

 

 

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そうやって 思うようにやってこれたから 

後悔はないのだけれど

 

私の強すぎた信念は

今になってみたら けっこうに偏っていたのかなぁ~?

そんなふうにも 思う。

 

 

自分のことは 全部後回しにしてきて

たぶん 沢山我慢をしていたのだと思うのだけれど

我慢していた 認識もなかった。

 

やりたいことがあったのに

それを抑えて 我慢していたのではなくて

そんなことすらどうでもよいくらい

私には子どもを優先することのが 大事だったから。

 

 

でもね…

一つだけ思うのは

そうやって自分を後回しにしてきたことで

『気持ちを大事に』と言いながら

気持ちを押し込めること

我慢することを教えてきたのではないかということ。

 

 

 

言わずに飲み込んだ 言葉

言わずに飲み込んだ 気持ち

 

それは 言わなくても伝わる。

 

 

 

もう少し 自分を大切に出来ていたら

よかったのかな。

 

 

 

 

原点にあったのが

子どもの視点だったから

子どもの気持ちを大切にすることばかり考えていたのかな。

 

もう少し大人としての視点があったら

もう少しバランスよく

大人として 自分の気持ちも大切に出来たのかもしれない。

 

 

 

そんなふう思うのです。