祖母は 娘たちに おそろいの服を縫い
母は 私と妹に 服を縫い
私は 娘たちに 服を縫った。
母は 度々 お菓子を作り
私は 時々 お菓子を作った。
母は「選挙には 行くものだ。 やることをやってから
文句は言うべきだ」と言い
私は「選挙には 行くものだよ。」と言い
娘は 何も言わなくても 選挙に行った。
母に反発して 「私は そうはしない!!」と
思ったことも数々あるけれど
それすら 判断のベースにあるものは 「母」で
そこを基準に 自分の考えを組み立てたり
自分のやり方を 作り上げたり…。
気づくと 母がやっていたことを
自然と 自分がやっていたりすることも 沢山ある。
あれこれ 干渉しない母を
淋しく思ったこともあったのに
自分も 基本的には 子どものやることに干渉することはない。
それを きっと 淋しく思う子も
いるのだろうなぁ~ と思うけれど
真似しているわけではなくて
私にとって 自然な関わり方だったりする。
母との関係を あれこれ 清算してた中で
私の欲しかった 愛情のかけ方はもらえなかったけれど
けっして 愛情がなかったわけではなかったことも
ちゃんとわかったし
そう思うと 同じ思いを
子どもたちが いま 感じていたとしても
いつか ちゃんと 届く日が来るのではないかと思うし
届かなくったて、 別にいいとさえ思える。
そしてね
反発したりしながらも
目には見えないどこかに
私の中に流れているものが
娘たちの中にも 流れていくのだろうと思うと
それは
なんだか とっても素敵だと 思えるのです。
母は 私と妹に 服を縫い
私は 娘たちに 服を縫った。
母は 度々 お菓子を作り
私は 時々 お菓子を作った。
母は「選挙には 行くものだ。 やることをやってから
文句は言うべきだ」と言い
私は「選挙には 行くものだよ。」と言い
娘は 何も言わなくても 選挙に行った。
母に反発して 「私は そうはしない!!」と
思ったことも数々あるけれど
それすら 判断のベースにあるものは 「母」で
そこを基準に 自分の考えを組み立てたり
自分のやり方を 作り上げたり…。
気づくと 母がやっていたことを
自然と 自分がやっていたりすることも 沢山ある。
あれこれ 干渉しない母を
淋しく思ったこともあったのに
自分も 基本的には 子どものやることに干渉することはない。
それを きっと 淋しく思う子も
いるのだろうなぁ~ と思うけれど
真似しているわけではなくて
私にとって 自然な関わり方だったりする。
母との関係を あれこれ 清算してた中で
私の欲しかった 愛情のかけ方はもらえなかったけれど
けっして 愛情がなかったわけではなかったことも
ちゃんとわかったし
そう思うと 同じ思いを
子どもたちが いま 感じていたとしても
いつか ちゃんと 届く日が来るのではないかと思うし
届かなくったて、 別にいいとさえ思える。
そしてね
反発したりしながらも
目には見えないどこかに
私の中に流れているものが
娘たちの中にも 流れていくのだろうと思うと
それは
なんだか とっても素敵だと 思えるのです。

