人のベースとなるものは

様々な意味で 親の影響を受けていると思う。



私の母は、洗濯は石鹸洗剤でしかしなかった。

風邪をひいても 薬は基本的には飲むように言わなかった。
 
子どもの頃にはスカートやワンピースを作ってもらったり、
 
セーターを編んでもらった。

フルタイムで働いていたのに
 
ケーキやクッキーをよく焼いてもらっていた。

父は 庭に花を大切に育てていた。



親の嫌だと思った部分だって

「私は あんなふうにはなりたくない!!」って

基準をそこに置くということでは

ベースになっていくのだと思う。



すべてが、いいとか 悪いとかではなくて

それが その人のベースとなっている...

それだけのことだと思う。



手作りのお菓子を作って

子どもの服や 小物を作って

「よいお母さんだよね~」って言われることがあるけれど



世の中の「お母さん」イメージとして 

それが「よいお母さん」としてあるだけのことで

私にとっては お菓子を作ることも

何か洋裁をすることも

特別なことではなくて

生活の一部でしかなかったりする



「よいお母さん」像があると

あてはまらない自分に ダメだししがちだけど

「よいお母さん」像を 疑ってみるといいのかなぁ~ って思う。



誰もが その人らしく在れば

もう それで充分で

「よいお母さん」で在ることを疑うと

「よい子」を子どもに求めることも なくなって

その子らしく在ることを 心地よく受け止められるのじゃないかと思う。



その部分だけ切り取れば「よいお母さん」に見えても

掃除が苦手で いつもとっ散らかってる私には

きれいなお家をキープしてる人の方が

スンバラシク思えるわけできゃぁ~



比べてダメだしするのは

もうやめにしたいなぁ…って思う。



なんだか まとまりがなくなってきたけれど

誰もが 凸凹で

違っているから面白くて

違いのままを 楽しめる私でいたい…



芸能人の方の病気についてのニュースが流れて

その人の選択についてあれこれ書かれているのを見るにつけ

心が重くなり

なんだか あれこれ思っている秋です。