同じ出来事に一緒に遭遇しても
その出来事の どこに反応するのかは
その人の心の奥にもっているもので 違ってくる。
私の癖の一つに
「見過ごす」ことに対する反応がある。
最近、仕事先で 子どもが「怪我をした!!」と助けを求めに来たのだけれど
2人で遊んでいて、その中で起きた怪我らしいのですが
(怪我と言えるほどのけがでは無かったのでけれど、本人はダメージを受けていたので、とりあえず怪我…としておきます)
あれこれ やりとりしていて
気づいたら 怪我した子ではないほうの子の お父さんが
公園のベンチに座っているのが 見えました。
お父さん、 子どものお友達が「怪我をした」と訴えているのに
公園のベンチに座ったまま、こちらに背をむけているのです。
自分の子どもが怪我したお友達と 私の仕事先に助けを求めに来ているのに
お父さんは 背中を向けて座っている...
怪我をした子は 寝転がってしまって 動けない状態でした。
何か事情があるのかもしれない。
たいした怪我ではないから いいと思っているのかもしれない。
それにしても…
って、背中を向けているお父さんにばかり 気持ちが向かってしまうのです。
観察していると、 男の子は心理的ダメージの方が強くて
怪我だと訴えていること自体は 大したダメージではないように見えました。
(その後、保護者の方からも 大したことはなかったと報告をいただきました)
でもね、どうなの????
って、ものすご~~~~~~~く 思ってしまうのですよね。
以前書いた記事でも、同じようなことに反応しているから
私の中に、「見過ごされる」こと「見捨てられること」への 強い怒りがあるのでしょうね。
今回は そんなことを強く思いながら
そんな自分をジャッジしないで
私は こういうことに反応するんだな~ って
観察したりしていました。
その癖を 解消しようとか
原因を探ろうとか
そんなことじゃなくて
そうなんだな~って
眺めて
それで終わり
そうしているうちに
背中を向けているお父さんに対しての不信感も
いつの間にか なくなっていました。
自分の持っている心の癖に気づけると
怒りや悲しみにも
やさしく付き合えるようになりますね。
その出来事の どこに反応するのかは
その人の心の奥にもっているもので 違ってくる。
私の癖の一つに
「見過ごす」ことに対する反応がある。
最近、仕事先で 子どもが「怪我をした!!」と助けを求めに来たのだけれど
2人で遊んでいて、その中で起きた怪我らしいのですが
(怪我と言えるほどのけがでは無かったのでけれど、本人はダメージを受けていたので、とりあえず怪我…としておきます)
あれこれ やりとりしていて
気づいたら 怪我した子ではないほうの子の お父さんが
公園のベンチに座っているのが 見えました。
お父さん、 子どものお友達が「怪我をした」と訴えているのに
公園のベンチに座ったまま、こちらに背をむけているのです。
自分の子どもが怪我したお友達と 私の仕事先に助けを求めに来ているのに
お父さんは 背中を向けて座っている...
怪我をした子は 寝転がってしまって 動けない状態でした。
何か事情があるのかもしれない。
たいした怪我ではないから いいと思っているのかもしれない。
それにしても…
って、背中を向けているお父さんにばかり 気持ちが向かってしまうのです。
観察していると、 男の子は心理的ダメージの方が強くて
怪我だと訴えていること自体は 大したダメージではないように見えました。
(その後、保護者の方からも 大したことはなかったと報告をいただきました)
でもね、どうなの????
って、ものすご~~~~~~~く 思ってしまうのですよね。
以前書いた記事でも、同じようなことに反応しているから
私の中に、「見過ごされる」こと「見捨てられること」への 強い怒りがあるのでしょうね。
今回は そんなことを強く思いながら
そんな自分をジャッジしないで
私は こういうことに反応するんだな~ って
観察したりしていました。
その癖を 解消しようとか
原因を探ろうとか
そんなことじゃなくて
そうなんだな~って
眺めて
それで終わり
そうしているうちに
背中を向けているお父さんに対しての不信感も
いつの間にか なくなっていました。
自分の持っている心の癖に気づけると
怒りや悲しみにも
やさしく付き合えるようになりますね。
