こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
愛に見返りを期待しない
わたしの娘と母。
いわゆるおばあちゃんと孫
という関係なのですが、
娘が成長するにつれて
おばあちゃんに
なつかなくなってきています。
こどもは、子供扱いされると
イヤになります。
「こうしなさい、ああしなさい」
には、反抗期というものも
あるのでしょうがこころのどこかで
リスペクトがない、
ということを見抜いているのです。
また、必要以上にゴキゲンを
とろうとするのも
イヤだと感じるのでしょう。
そして娘はまだ語彙力が十分ではなく
浅い思慮で発した言葉が
おばあちゃんを傷つけてしまって
いたりします。
それがおばあちゃんにとっては
悲しいものなのです。
娘がもっと小さい頃は
おばあちゃんにたまに面倒を
みてもらって、
お互いが楽しく過ごすことも
あったのですが
娘の自我の発達とともに
関係がこじれてきました。
娘が一方的におばあちゃんを
嫌っているという構図なのですが、
娘だけが悪者、
というわけでもありません。
一定、娘には
共感できるところもあります。
おばあちゃんも、
実の息子のわたしからしても
少々面倒くさいところがあります。
特に歳をとると、くどくなったり
するのは仕方のないことです。
本人はやさしさからなのでしょうが
よかれと思って言うことが
うっとうしかったりするのです。
わたしは今でこそ、そういう人だ、
とありのままを理解したり、
いろいろしてもらってきたことに
感謝を感じているため、
そのような観点で
接することができるのですが
40歳を過ぎるまでは
なかなかそうは思えませんでした。
それを小学校低学年の娘に
理解させるのもナンセンスな話です。
おばあちゃんにとっては
「これだけしてあげてるのに」
「この子のことを思って言ってるのに」
という気持ちがあるのでしょう。
だから無反応であったり、
居心地よくされなかったりすると
悲しくなってしまうのです。
「何かをする」というのは
1人称の勝手。
それに対して「どう思う」かというのは
2人称の勝手。
別々の「勝手」を
ごちゃまぜにするから
面倒くさくなるのです。
おばあちゃんには
おばあちゃんの課題、
娘には娘の課題があります。
わたしは事あるごとに
このように考えますが、
説教くさくなるのもいやなので、
普段の会話の中にエッセンスを
入れるようにしています。
そうすることで
わたしを取り巻く世界が
じわじわと変わっていけばいいなぁ
と考えています。
与えるだけの愛にシフトする
本来愛というのは
与えるだけのものです。
求めるものではないのです。
求めるから、つらくなる。
別に愛されても、愛されなくても
どちらでもいい。
ただ、愛することなのです。
これを宇宙の愛と
呼ぶことにしましょう。
わたしたちが一般的に
愛と呼んでいるものは
宇宙の愛とは少し違います。
「なんかちょうだい」
ってのを無意識に要求している。
何かしらの見返りを
期待しているがゆえに
見返りがないとがっかりする。
わたしはもう、そんなのは
疲れてしまったので
与えるだけの愛にシフトしました。
すべてにおいて、
いちいち反応することに
疲れたのです。
ニコニコして「ありがとう」って
言ってるのに、目も合わせず
ブスッとして去っていく。
でも、いいじゃないか。
客から「ありがとう」と言われている
レジの店員さんが
「ありがとうございます」
を言わない。
でも、いいじゃないか。
いちいちそんなので
自分の気分が悪くなって、
望まない現実が創られるのは
まっぴらごめんなのです。
感情のコントロール
究極的には愛は与えるだけのものです。
宇宙は何も見返りを期待してきません。
この地球があること、生命があること、
この世界でさまざまな体験ができること、
すべては宇宙からの愛です。
そして、それらはすべて
当たり前のように存在しているのです。
愛を、欲望として昇華するのであれば、
結果は手離すこと。
イコール
見返りを期待しないことなのです。
見返りを期待することが
自分を苦しめるのなら
そんなのははじめからなければいい。
ただ、起こることに意味づけをする。
それが感情というものです。
意味づけを定義することで
感情が成り立つのであれば、
感情はコントロールできる
ということです。
もちろん反射的に起こる嫌悪感も
時には感じるでしょう。
それは隠す必要なんてありません。
自分についた嘘は、必ずバレます。
そんな時はイヤな気分になった自分を
「イヤだと感じてしまったんだね」
と、ありのままを
認めてあげればいいのです。
自分という存在は
そのままで完全なのです。
いいところも、悪いところも
どちらも存在しているので
完全なのです。
だから、そのままを認めてあげる。
その状況が気に入らないなら、
この先どうするか、という考えに
シフトすればいい。
今起こった現実を
変えることなんて
できやしないのです。
器の小さい自分が
気に入らなかったとしても、
それが等身大の自分自身。
今日のところは、
認めてあげましょう。
現状をありのまま認めることから
次の現実創造ができるのです。
今は、今、それが続くわけではない。
だから気に入らない自分自身に
抗うことなく今を認めるのです。
現実と感情の分離
皆さんは、
今日どんなことが起こりましたか?
その時の感情を思い出してください。
イヤな気分があったなら、
それが成長の種です。
そんな気分になった自分を
愛してあげてください。
それを繰り返していくことで
現実と感情の分離ができるようになり
楽に生きられるようになるのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
1人でも多くの人にわたしの記事を
読んでもらって幸せになってもらいたい、
そんな気持ちから
「にほんブログ村」に参加しました。
クリックのご協力よろしくお願いいたします。
↓
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー