こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは「何物でもない人間がなんでもない毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」をつづっていきます。
前回のブログで人間の悩みの多くは
人間関係
だと申し上げました。
その中で一番近いコミュニティが
家族
です。
家族というテーマのなかでもこの世界で親になる経験をする人、独身で生きる人、それぞれもって生まれたプログラムにより道は分かれます。
親になることを選んだ方のテーマで外せないのが
親子関係
です。
今回は「親子関係」についてお話しします。
子供の成長こそがわたしの生きがい
なんて方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そう思うのは個人の勝手なのですがお子様は迷惑されてないでしょうかね?
わたしは
子育てという哲学は不要
と考えます。
子を持つ親は子供を育てているのではなく
「親になることを学ばせてもらっている」
ということを知らない人が多すぎるのです。
自分が「導いている」という傲慢さ。
子供を「なんとか困らないようにしてあげよう」というおせっかい。
すべて
反対ですよ。
おこがましいです。
自分の価値観を押し付けるなんてもってのほかです。
小さい頃、親からそういうことをされた経験ありませんか?
その時にどんな思いがしましたか?
確かに社会的弱者である子供の命を必要最低限としてつなぐ責任はあると思います。
それも学びの一環としてですが。
そして、人生を選べる自由を提供できればなおいいと思いますが、別にそれができなくても構わないっちゃあ構わない。
なぜならその子はそういう状況を「選んで」生まれてきたのだから。
そういう意味で親子の関係は何もしなくても完全なのです。
ピッタリ合うことも完全、毒親も完全なのです。
うれしさも、悲しみも、楽しさも、くやしさも、すべてが今の自分にちょうどいい
のです。
見目形は子供であっても一つの魂であり、親も一つの魂、それぞれがリスペクトされるものです。
子供に対しては、何歳であっても「人として」向き合うことが大切です。
違う魂なのだから生まれる前には過去世で自分の知らない経験をしているはずです。
わたしは子供のもっている感覚を教えてもらうというスタンスで向き合っています。
それは理想論だ。
そんなの現実的じゃねぇ。
男だからそんな無責任なことを言えるんだ。
という声もあるでしょう。
そう思ってらっしゃるならそういう世界に生きればいいと思います。
どんな世界を見るのも、信じるのも、自由です。
この世界は自分が思い描くものが現実となります。
現実が出てきて、それを感じているのではありません。
自分のコンフォートゾーンで思い描いたものは、知っているような現実となり、自分の枠から出たところで描いたものは、未知なる現実となる。
「現実的でない」と思っている現実を創造するには枠の外にある「理想論」「非現実的」「無責任」を開放する、許すことです。
自分の枠の外への扉を開くことで新しい価値観が生まれるのです。
他人の子や家庭と比較してしまう方。
他人と自分、よその子とわが子は
1ミリも関係ありません。
比較ばかりをしていると、子供は自分という存在が素晴らしいということに気づかずに大人になってしまいますよ。
どんな子でも
子供として接するから、親として接してくる。
バイアスがかかっている状態です。
バイアスがかかるからお互いに期待をし合って、関係がうまくいったり、こじれたりとややこしくなるのです。
子供に1人の人間として接するなら、親を1人の人間として接するようになる。
人は写し鏡です。
リスペクトすれば、リスペクトされるのです。
子供を「子供扱い」するのはよしましょう。
その人はわたしたちの
先生
なのですから。
本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
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