こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは「何物でもない人間がなんでもない毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」をつづっていきます。
みなさんの周りには
わざと聞こえるようにイヤミを言う人
っていませんか?
そう思ってたとしてもなんでわざわざ言うんだろう?とつくづく疑問に思います。
なにかしら思い通りにならなかった。だから「○○してほしい!」
という思いが根底にあるのだと思いますが、イヤミを言われた人はますますそれに協力したくなくなりますよね。
きっと
現実は変わらない、とあきらめたのでせめてこのイライラをぶつけてスッキリしたい!
というのが本音なのだと思います。
でもその一言が
自分の品位を下げている。
もったいないなぁ
とつくづく思います。
周りに「あー、そういう人なんだー」と認識される、
という考えに及んでいない。
残念です。
そしてわざわざイヤミを言われる人は言う人から
なめられている。
バカにされている。
そう思うと腹立ちますよねw
もちろん、それに対して言い返す、というのも結構です。
が、同じ土俵に乗らない、というのも一つの手です。
起こる現実には意味がない。
その意味付けをするのは個人です。
「あのときイライラしてたから同じようにイライラする出来事が起こったんだ」
と考えるのも
「同じ土俵に乗らない、反応しない、というチャレンジのために起こったんだ」
と考えるのも
自由です。
どうせなら自分が一番成長できる意味づけをしたいものです。
人はそれぞれ自分らしく生きればいいと思います。
わたしの尊敬する小林正観さんや斎藤一人さんは
愚痴泣き言不平不満文句は言わないように
とおっしゃっています。
究極的にはそこを目指すのがいいと思いますが、いかんせん突発的に出る感情には抗えない時もあります。
ネガティブな感情を感じてしまったことは仕方がない
とわたしは考えます。
それを否定することは自分を否定すること。
自分を否定する、ということは自己受容と反対のベクトルなので溜まると爆発します。
だから
自分を否定することはやめましょう。
だってそのままで完全なのだから。
不完全な自分こそが、完全なのです。
その不完全な部分を、自分以外が補い合って、この世界は調和がとれているのです。
そして「今」の完全と「一瞬先の今」の完全は別ものです。
わたしたちは自分の中の違和感をアジャストしていくことで本来の自分に近づいていくのです。
今回この内容を書くにいたったのはそのような出来事がわたしにあったからです。
もちろんその時はいい気はしませんでしたが、受け流したうえでこうやってブログを書かせていただけて
ありがとう
という気持ちです。
わたしはアウトプットという形をとって昇華しましたが、イヤな気分を思い出してただただモヤモヤする方もいらっしゃると思います。
他人のことを考えている間は、他人の人生を生きています。
イヤなことも、恋愛のことも、すべて。
そうやって考える大体のことは
自分ではどうにもならないことばかり
です。
感じたイヤな気分を元に戻すことはできない、片思いの子の気分を自分に向けることもできない。
そう考えるようになった今は
すべて自分事としてどう捉えるか
という視点に置き換えるようにしています。
そして悪い気分はすぐに浄化する。
他人の人生を生きない、と決めているのです。
アカデミックに考えるとアドラー心理学の「課題の分離」に行きつくのですが、あまりにアカデミックに傾倒しすぎると顕在意識ばかりが機能してしまいます。
わたしたちは
頭で考えて動くこと、よりココロで感じ動くこと
が大切です。
ココロにつながることが本当の自分で生きることなのです。
本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
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