こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは「何物でもない人間がなんでもない毎日を幸せに生きられるようになるストーリー」をつづっていきます。
前回「自己否定」と「自己受容」ということを書かせていただきましたが本日はわたしが約40年間握りしめていた根深い自己否定についてダイジェストでお伝えします。
前回のブログで自己否定には2つある、と申し上げました。
①マイナスの自己否定
「自分は他人と比べて本当にできないヤツだ」
⇒セルフイメージが低すぎて現実との差が生まれている
②プラスの自己否定
「自分は本当はこれくらいできるのに、全然できない」
⇒セルフイメージが高すぎて現実との差が生まれている
どこから自分の自己否定は始まったのだろう、と遡ると5歳のころのピアノとの出会いにたどり着きました。
①マイナスの自己否定
わたしは5歳のころ、親から強制的にピアノを習わされました。
ピアノという楽器が女の子のするもの、という深い認識があり、そんなことはどうしてもやりたくない、と泣きわめいて抵抗しましたが、無理でした。
小学5年生になるときにピアノの先生が妊娠されてやめることになり、それをきっかけで自分も行かなくなる理由ができましたが、本当に本当にずっとイヤでたまりませんでした。
正直ずっと大嫌いでした。
大嫌いなのに音楽の成績は小学生の間中常に1番でした。
周りのみんなが「なぜこんなこともわからないのだろう」と思っていました。
そんなことからわたしは自分より劣る人に対して蔑むようになったのです。
このようなクセはつい数年前まで続いていました。
人をバカにすることで自分に価値があると思い込んでいたのです。
物心ついたころからしょうもないプライドが高かったのです。
ーできない自分を心でわかっているからこそ、虚勢を張る、自己否定。
②プラスの自己否定
ピアノは「上達が早い」とおだてられていたことに気づかず、鵜呑みにして、自分はなんでもできると思い込んでいました。
のちに音楽を本格的に取り組むことになったわたしは、音楽で最も大切なリズムキープすらできない、ということに気づき、自分には基本的な才能もないのだと愕然とするのです。
間違うのがイヤだった。できない自分を見せるのがイヤだった。だから次の小節に行く前に音を出し始めて、いつも「リズムが走る」という状況でした。
好きではなかったのだから純粋に楽しめるわけがなかったのです。
なんとかその中でわたしは価値を見出そうと自分なりに努力していたのだと思います。
ーできる!と言われていたのに、できない、自己否定。
①マイナスの自己否定
ピアノを習わされていた、というトラウマ。
毎日父が横について練習させられるのが4ぬほどイヤだった。
大嫌いだった。
けど続けされられた。
けど褒められる。
そして知識は向上する。
でもやりたくない。
心と体が一致していませんでした。
そんなことを6年間も続けていたらおかしくなります。
そして徹底的にセルフイメージが下がりました。
ー心に背いて、やりたくないことをやっている、自己否定。
②プラスの自己否定
人を蔑むことで自分ができる人間だと思い込んでいたわたしは音楽だけにとどまらず「自分は勉強の理解力がある」と思っていました。
自分は他の人とは違うんだと。
浅はかな人間でした。
そして小6の時に自ら志願して塾に行こうとします。
全国展開の有名塾です。
その入塾テストで現実を見せられます。
ヒエラルキーは6段階あって、わたしはその1番下ギリギリ届くか届かないか。「入塾するならそこならいいですよ」みたいな感じで言われました。
情けないけど、そこに入りました。
ー頭がいい、と思っていたのに現実は中途半端なレベルだった、自己否定。
②プラスの自己否定
わたしは小さい頃「かわいいかわいい」と育てられました。
確かに幼少期の頃の自分は手前みそですが女の子のようでかわいかったです。
それが物心つく小学生の頃にはまったくモテない。
中学生の頃も、まったく。
バレンタインデーのチョコレートも彼女ができるまでもらったことは一度もありませんでした。
ーモテる、と思っていたのにモテない、自己否定。
②プラスの自己否定
こんな自意識過剰で他人を否定するような人間だからいじめにも会いました。
小学校の頃はちょっとイヤな気分になったくらいでしたが特に中3の頃は思い出したくもありません。
ー自分を大切にできないから、他人も大切にできない、自己否定。
②プラスの自己否定
奇しくもやりたくなかったピアノをやっていたおかげでわたしは音楽に興味を持ち、大学生の頃には本格的にバンド活動を行いミュージシャンを目指すきっかけとなりました。
自分の曲には世界観があり、それを実現することが正しいのだと思い込んでいてメンバーを尊重せず、蔑むことすらしていました。
だからクビを宣告されたりしたのです。
結果として音楽活動は10年ほどやっていましたが、思うような結果は残すことができませんでした。
ー優秀(と信じている)な自分が否定される、という自己否定。
②プラスの自己否定
30歳を過ぎて声が出なくなったのを機会に就職をします。わたしは自分ができない人間なのに「できる」と思い込んでいたので、それを実現させるために毎日必死に、自分らしくないほど働きました。おかげでスピード出世はできたのですが、上に行くと自分が必死にやっているレベルを軽々とこなす人がたくさんいて、その人たちとの比較で苦しみました。
自己否定が強くなり2度も違う上司からパワハラも受けました。
45歳で体力的に限界、心を壊して仕事を強制終了、転職することになりました。
ーできる人間を装っても、ありのままでできる人間には勝てやしない、自己否定。
①マイナスの自己否定
転職活動で今の組織に入ることになりましたが、年齢的にも自分のやってきた経歴からも自由にやりたい仕事を選べる状況ではありませんでした。
自分に価値がない、と思い込んだわたしは「資格を取って付加価値を上げよう」と思い今の仕事をしながら「中小企業診断士」の資格勉強を2年間1300時間続けましたが、1次試験に1点不足で不合格、という結果でした。
結果的に「これは自分のすすむべき道ではない」と判断、撤退しました。
ー自分の職歴が市場では大して価値がない=自分には価値がない、という自己否定。
その後わたしは自分の生きてきたこと自体に疑問を持ち、心の勉強をすることになります。
そこで自己受容と出会い、今にいたります。
今現在、わたしは自分を受け入れ、他人を尊重していきているため、いたって平和な毎日をすごしています。
物心ついてからの40年間がウソのような毎日です。
こう見ると
「自分ってクソみたいなやつだったな」
と本当に思いますw。
ですがわたしはこの人生を否定するつもりはありません。
陰を深く経験することで陽がより鮮やかに見えるのだとわたしは考えます。
だからこそ自己受容ができたことでたんたんと過ぎていく日々に感謝ができるようになったのだと思います。
ピアノとの出会いは本当に良くも悪くもわたしの人生に大きく影響しました。
ここには書きませんでしたが音楽活動を本格的にやっていた期間は楽しかった思い出もたくさんあります。
でも、もう疲れました。
部屋の片隅にはギターやベースが置いてありますが、さわる気にはなりません。
次の人生もう1回音楽やるか?と言われたら前までは即答でイエス!だったけど今はわかりません。
もちろん、今でも音楽を聴くことは好きです。
でも、どっぷりつかるのはしんどいかな。
こうやって心の話を穏やかにしていることが自分らしい。
これはがんばらなくてもできるから。
本日わたしの苦い経験を通じてお伝えしたかったのは
今が苦しいと感じる人はそれをチャンスにできる可能性があるということ。
苦しみと同じ量の幸せがそこに隠されているということに気づくということ。
そして、あとはどうひっくり返すか。
こんなに自己否定が深い人間でもそれを受け入れることで180度違う人生にシフトするのです。
自分をリスペクトし、自分以外もリスペクトする。
ただそれだけです。
苦しみも喜びも「経験」という観点からすればどちらもプラスです。
その人固有の財産です。
みんな等しくなにかしらの財産はあるのです
その偉大な財産を宝物にするのも、ゴミにするのも自分次第なのです。
どうせなら苦しみを、ひっくり返してみましょう。
本日のお話で皆様が幸せに気づくお手伝いができれば幸いです。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、さらにその周りの人たちを幸せにすることがわたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
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