昨日から私の町も雪になった。
私はお外の猫が気になって
餌やりの当番の日ではないけど
餌やりさんに連絡を取って
雪や雨に餌が濡れないように
工夫しようと餌場に向かった
昨日設置したご飯をあげるためのトンネルは
結局タヌキなどが食べに来たりして
荒らされるだけなので
無駄な事だと知った
一瞬、嫌な気持ちになる
けれど意図はあの子たちを守る事
飢えと寒さを少しでも和らげてあげること
餌やりさんは79歳
風邪もひいた体
なのに私が置いてきた餌の撤収や
あの子たちに温かいミルクを飲ませるために
雪が本格的に降り出した夕方に
わざわざもう一度、餌場に出かけている
今朝は6時半に電話したら
すでに朝の5時にあの子たちの元へ
雪道を車で行き
朝ごはんを上げに行ってきたと言う
私は仕事を休んで
あの子たちに何かしようと思っていた
だけど餌やりさんは
すでにすべてやってくれていた
風邪ひきの体で。
この人の愛にかなうものはいるのでしょうか
いや、
かなわないとかそんなことより
私は何ができるだろうと思った
無駄になったトンネルの撤収
いつも通り、明日から3日間の餌やり
汚れているならブランケットを洗濯するのは
私の餌やりの番の時
インスタで餌場のトンネルの設置や
猫ハウスの設置の写真を上げたことが
ちょっと大げさに思えた
私は「役に立たなかった」という結果を憂いたんだ
でもそんな憂いこそ意味のないこと
私は細かく自分の気持ちの描写を捉えて
自分と対話するんだ
じゃないと
すぐに自分は変な方向へ、心地悪さや勝ち負けに
自分を運んでいくんだから
私は
雪だ雪だってはしゃぐことはダメだなんて思わない
雪も神様の贈り物だから
(ちなみに私は
去年もおととしも雪の中夜の広場で大はしゃぎした)
そして今年は外の猫ちゃんと出会った
今年は夜の雪を見て一人で泣いた
そして色々考えて
行動を起こすのもまた神様からの贈り物
何もかもが
神さまからの贈り物だ
正しさなんてない
心を優しさや楽しさ喜びに少しでも向けようとするのは
自分に対してであれ
他者に対しであれ
結局は同じ事
優しさや喜び楽しさ憐れみや慈しみの心は
神さまがいつもヒントを下さる
私の目の前に現れたなら
それが神様がくれたヒントで
私はそれを少しでも
優しさや喜びや楽しさ憐れみ慈しみの心に
自分を染められるような
立ち居振る舞いをするだけです
私が何をしようとも、せずとも
もうすぐ春はやってくる。
※
立ち居振る舞い について
立つ=存在(ただ私がここにいることは完璧であるのです)
居る=心の居場所(私の真心はどこにあるのか私は気づいています)
振る=考え(私の考えは私の真の心から表れたものです)
舞い=行動(私という存在は私の真の心が表現し行動するのです)


