私は、同じようなことで
悩んでつまづいています。
私は去年の自己対話と
今年の自己対話を2つ。
本当の自分は自分にいつでも
親切丁寧なのがわかりました。
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~スペースを作る~
素晴らしい自己対話
去年の今頃の私の対話
また一年後も
同じところで苦しんでいる私
他人に対しては怒りやジャッジ、
そして自分に対しては無価値感
かなり長めの暗闇期間が
体調不良と共に
どちらが先と言うわけでもなく
互いに増幅しあう
そんな中
ただ休みを休む
ゆったりすればいい
それだけなのに
ずっとやってあげられなかった
ただゆったりすればいいだけ
今すぐにやってあげられるのに
なるべく長くやってあげようと
心がければいいだけなのに
右見て左見て
いやいや、あなた
またできないとか
できてなかったとか
色々自分に言いたがるのね
泣きそうになりながら
頑張ってきたんでしょ
もうだめだしんどいって言いながら
それでもすることやって来たんでしょ
やめろとか落ち着けとか
そんなこと言ってあげなさんな
この子が可愛そうだよ
エゴが暴れてるからだって?
そんなこと言って
何になるのかね
エゴが暴れていることに
気づいているからこそ
どうにかしようと必死に自分を
抑えようとしてたんじゃないか
もうそんな自分いじめは止めないか?
どんな自分でも愛するんだ
眠れない自分も
体調悪い自分も
失言した自分も
間違った自分も
怠惰な自分も
情けない自分も
怒ってる自分も
その自分を
この世の宝石だと思えるか?
泥の中で
ごつごつして醜い石を見つけたら
蹴り飛ばして来ただろう
拾って磨くなんてこと
思いもつかないんだろう
それをせずして
愛を知ることはできないのだよ
なぜ拾わない?
その宝石を
輝いているその綺麗なモノたちは
綺麗に手入れされたから
綺麗なんだよ
自分を汗と泥まみれに働かせて
風呂に入れてもやらないのかい
怒りや憎しみ苦しみそんなものは
本当は
愛の欠如で起こっているもんだろう
この世界は
愛があるか
愛を与えられていないか
その二択である
愛が与えられていなければ
醜く卑しく不快に陥るだろう
愛がそこに注がれるには
不安を眠らせる必要がある
決して不安を無くすのではない
不安だと見ていた
その方向が夜だ
愛だと見ている
その方向が昼だ
夜の闇の中で私は無力だ
しかし
陽が上がって
目の前に見えているならば
あなたは何らかの行動を取ることができる
夜の目で
昼を過ごしてはいけない
夜には夜の役割があり
昼には昼の役割があるだけだ
ごつごつした石も宝石も
石なのだ
夜も昼も
愛なのだよ
どちらも同じなのだ
深く呼吸して
自分の中に入って行きなさい
そのためのスペース(spase/空間/空/宇宙)を
作りなさい
時間と言う概念は
あなたにその時こそ役に立つのだ
スペースを作る時間を持つのだ
