自己観察について
考えていたら
ふと思い浮かんだワードが
「信念と疑念」でした。
私は非公開の裏ブログで
自分の気持ちを吐露しまくって
ハイヤーセルフと対話しています。
その対話を
文章にして書こうとしたら
ハイヤーセルフに言葉を持っていかれて
落ち着いた文章ができて
私は時々とまどいます。
自分、大したことねーのに偉そうじゃない?って。
けれど
私が大したことないのは関係ない
ってハイヤーセルフが言うのです。
自然に湧いてきた言葉を
書くこと、出すことに
抵抗すること自体が不自然で
この世界には
どんな場所にも
神の叡智が宿っていることに
気づかなければいけないと言われました。
そこで私が自分は愚か者なのに
と出し渋ることは
「愚念」と言う更に低級な考えだと
言われました。
言葉遊びが好きな私は
この三つの言葉が気に入って
「信念、疑念、愚念」
と
タイトルを付けて
このブログを書きました。
そしてここからが
その出し渋った偉そうな言葉
観察について対話したものです。
とても優しく大きな言葉ですので
ゆっくり丁寧に味わって読んでもらえたらと思います。
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~自己観察について~
一つの事について
考え続けている時
自分を見失ってしまうことがあります。
例えば
欲しいものについて
考える時
それが手に入るには・・・
方法を考え巡らせたり
そんな時
自己観察をしてみるのです。
昨日の自分の気持ち
朝起きた時の自分の気持ち
昼間活動している時の自分の気持ち
夕方、寝る前、
同じことを考えていても
全く同じ思考なのか
一歩前に進んでいるのか
後退して落ち込んでいるのか
細かく細部まで自己観察をしてみると
似て非なる場面ごとの自分が見つかるのです。
自分の見ている方向を
今
信念に向かっているのか
疑念に向かっているのか
愛に向かっているのか
不安に向かっているのか
向かう方を観察して
違っていたなら
舵を取り直します。
ネガティブな気持ちになっていても
正直な気持ちを出しているなら
それは
愛に向かっていることになります。
ポジティブな気持ちになっていても
正しさで自分を明るくさせているなら
それは
不安に向かっていることになります。
そのトピックは
欲しいものでも
悩み事でも
人間関係でも
何でも同じです。
自己観察は唯一自分を知る手がかりです。
何かの教えや
ハウツーに
乗っ取っていては自分を見失います。
孤独であるように感じるでしょうが
それは
この世のすべての生に
同じことが言えるのです。
他人も物事も
あなたが映し出す
物語です。
物語の真意を
自分に聞いてみてください。
作者はあなたなのです。
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改めてこの自己観察について
読んでみて気づいたことがあります。
自己観察のポイントをさらに
分かりやすくした言葉が
「信念、疑念、愚念」なんじゃないか、と。
自分の今の気持ちが
●本当の自分、真実の自分へと向かっている
「信念」に基づいているのか。
●今の自分の不安定さを憂いて
疑いの気持ちが出てくる
「疑念」に基づいているのか。
●自分を力のない状態に安住させ
他人を祀り上げたり、自己を否定している
「愚念」に基づいているのか。
自己観察をする時に
この質問を自分にします。
今の私は
「信念、疑念、愚念」
のどれに当てはまるのだろう。
愚念だらけのこの頃の私だからこそ
この話が書けたのだと
信念に舵を取り直すことができたのでした。チーン(*´ω`*)
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千葉県印旛郡栄町で
心のマッサージサロンをやっています。
成田に近く、自然豊かな静かな場所です。
東京から1時間圏内です。
セラピスト
持月 祐子について
コーチング、カウンセリング、などを学び
ライフコーチ、自殺防止のボランティア電話相談員を
やっていました。
この生で自分のやることに気づいて
自己の経験を元にセラピーを始めました。
家族問題、発達障害、HSP、不登校
願望実現、自己受容、母子家庭、虐待、離婚
自殺願望、インナーチャイルド、ペインボディー
自己対話、ハイヤーセルフ


