ネガティブなニュースが耳に飛び込んできた

 

しかも3度も同じことを

別の人から聞いたものだから

 

私はそのニュースを

聞いただけなのに

映像を見もしていないのに

ありありと感じているのだ

 

私の脳は

その映像の中にある感情を

私は自分の経験や知識、過去の知覚の中から

ありありと

さも目の前で起きている事のように

リアルに感じている

 

映画を見ていて

そのストーリーに没頭している状態だ

だって

自分が知っている気になっているから

 

そのニュースを教えてくた

人だって

私とおんなじ状態だ

 

決して

そのニュースの中にはリアルにいないのに、だ。

 

情報は

私達を

簡単にその情報の中へと

連れ込んでゆく

 

脳は

実体験と

想像を区別できないのだ。

人は情報を聞いて

誰でも

この状態に入り込める

 

脳によるキャッチと

脳による自分へのリリースは

私の今いる世界を

暗くしたり明るくしたり

することができるのだ

 

そのニュースを

知ったら

自分の実生活にどう活かそうと

思うのか

コーチングでは

このあたりを習ったので

 

このような行動を

自分もしてしまわないようにしようとか

 

悲しみを癒す祈りを捧げようとか

 

私は

しばらくして落ち着いたら

そちらの

考えを採用して祈った

 

そして

次段階では

リアルに感じる痛みの感情が

自分のなかにあるのなら

自分を癒そうと

呼吸を深めて

悲しみからの絶望など底の気持ちを

味わってから

心を静めてただ沈黙の中に

身を置くワークをして

事柄のジャッジから離れて

大いなる宇宙の永遠に意識を向ける

瞑想をした

 

さらに

お風呂に入って

重い気分を洗い流した後は

 

ニュース

情報の

トリックについて

もっと現実的に捉える考察が

思い浮かんだ。

 

 

そもそも

ニュースや巷にある情報は

ネガティブな感情になるように

仕向けられている

胸が痛くなるほどの

衝撃的なニュースに

触れたことのない人など

いないと思う

 

その

ニュースは

人の口伝えに広がっていく

 

なぜなら胸が痛くなるほどの

情報を自分が知ってしまったことに

耐えられないから

 

自分が持つには

重すぎて誰かに話すと

その荷を一時的に吐き出せたような気になるからだ

 

けれど

その情報は

そうやって

また人に伝えられるときに再度

痛みを観測させて

また聞いた人に拡散されていく

 

私はテレビが無い生活にすっかり慣れてしまったけれど

ネットや

人伝いに

こうやって

ニュースは入ってくる

 

そのニュースを話す人の

恐れをさらにまとって

ニュースは

拡大して

ネガティブをふりまく

 

情報はまるで

暴力だ

 

ニュースは

人を悲しくさせる

 

ここまで書いて

客観的に冷静に判断すると

その痛みを

「私、つまり自分そのもの」

だと勘違いする人達が

溢れているということになる

 

 

この

 

 

とは

 

本当の私ではなくて

 

脳の一部の処理能力のことなのに

 

想像して

感傷的になったりする

 

映画を見ている

自分が

自分の心理をえぐってる

そこから

でなければいけない

 

情報とは

こうあるべきという

話ではない

 

情報は情報である

だからここで映画鑑賞感情旅行から

目を覚まして

私が

私として本当にフォーカスしたいものは何か

 

 

問い直すのだ

 

私が私として

本当にフォーカスしたいのは

 

どんな悲しみの中にいる人にも

生きるパワーが備わっているということ

 

 

 

私が私として

本当にフォーカスしたいのは

 

どこからも光は降り注いでいるという真実

 

 

私が私として

本当にフォーカスしたいのは

 

その先にある生の美しさ、たくましさ

 

私が私として

本当にフォーカスしたいのは

 

 

 

人は変容する無限の可能性を秘めていることへの信頼

 

これらは

 

私が私に

向けたい

向けてあげたい

フォーカスなのだ

 

自分を状況によって

小さく見ないこと

 

他者に対しても

同じように

見るという

教え

 

それが

私達の

生きる知恵なのだと思う

 

 

私を

大事にするとは

 

私自身を

情報によって

傷つけないという

ことでもあるのです

 

 

ニュースを否定するわけではありません

 

ニュースを見聞きし

観念の手放し

解放に

繋げることができるなら

 

もうこの世界に

 

ネガティブな感情を誘う

あらゆる発信が

消えていくのです

 

 

それらは

真理を表してはいないので

私の真理のなかに

入っていけなくなるのです

 

 

雨風に

打たれる

草花を見て

私達は

何を思うでしょうか

 

 

私と言う存在も

あの人と言う存在もまた

 

この

自然の一部なのです

 

 

~何かに翻弄されそうになったら

一輪のたんぽぽに

道を聞きなさい~

 

 

 

自分の日常感じたことから

自分と対話をして

最終的に

今自分が一番知りたい考えと生き方にたどり着く

 

漂着する場所には

いつも

大きな大きな自分自身がいるということに

気づく対話を

またブログで書きたいです

 

読んでくださってありがとうございます。