夕方、
職場付近の道路の真ん中で
横たわってる猫ちゃんを見たの。
頭から血が流れていて
もう
息はない気がする。
私は送迎の運転中
今日の送迎は近場なので
すぐに戻って来れる。
私は、送迎の後
自分の車でその猫を
見に行ったの。
もう息はなかった。
きっとこの子は野良ちゃん。
擦り切れた爪、
馬の蹄のように固くなった肉球、
生きてる時も過酷だったんでしょうに。
私はタオルに包んで
その子を
車に乗せました。
職場に頼んで
畑の隅に
埋めてあげようか
それとも
ペットの火葬場に
埋葬しようか
私は
自分がもし
死んだら
土に埋めてほしいか
火に焼かれたいか
考えたら
土に埋めてほしいと思うので
職場長の方に
畑の隅に埋めていいのか
お願いしに行きました。
職場長さんは猫を飼っていて
猫好きな方なの。
すぐに
長靴に履き替えて
一緒に畑の脇に行ってくれるって
畑の脇に向かうまでのわずかな間
職場長さんは
話し始めたの。
新入社員のころ
送迎車を運転中
知らずに仔猫を引いてしまったらしい。
運転で手一杯だった当時の職場長は
当たったことにすら気づいていなくて
その当時の職場長が
気づいて畑の脇に
埋めていてくれたんだって。
命を
無自覚に
引いてしまったこと
きっと
心の中では
苦しく思っていたに違いない
今、この猫ちゃんを
天へ送り出す
出来事が
いつかの記憶を
和らげてくれるならいいなと思った。
また生まれ変わっておいでねって
職場長と二人でお別れしました。
私は
仕事が終わった後
駅で息子を拾って帰るのですが
今日はさすがに
待合い時間に間に合わないかもしれない
と覚悟していましたが
意外や意外、
時間ぴったりに
職場を出てゆっくりと
息子の迎えに行くことができました。
時間は猫ちゃんからの
プレゼントだったなぁと思います。
死という出来事は確かに
生きている者からすれば
悲しいけれど
時間も空間も超える
生きている時には味わえない
大いなる生命のおおもと、
スイートホーム
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安心、安らぎ、神聖な体験で
誰にでも
与えられているって
究極の平等なんだと思う。
この猫ちゃんはその大元の
神聖な力を使って
職場長の過去の出来事を癒し
私に時間のプレゼントをくれて
そして何より
この出来事は
私にとって
とても
とても
安らぎをもたらしてくれたのです。
死んだ猫ちゃんの
魂の体験の
おすそ分けを
頂いたに違いありません。
夕暮れ時を迎える前に
綺麗に送り出せて
よかった。
また生まれ変わって
来てくれるかな?
写真は
我が家のノアちゃん
この子もいつか旅立った子の
生まれ変わりだって確信してる。
そのいつかの子の物語はここです。(※内容ハードです)


