もういい子にならなくていいんだよ。

 

ほら、

 

出ておいで。

 

自分の好きなことを、

好きなだけ感じよう

何も遠慮は要らないよ。

 

あなたは

誰も悲しませないし

 

あなたを責める人も考えもない。

 

そんな世界は終わったのよ。

 

あなたは自由にどんなことを

考えてもいいんだ。

 

さぁ

出ておいで。

 

 

 

お母さんの手をぎゅっと握っていないで

歩いてこっちへおいで。

 

 

お母さんの後ろに隠れていないで

迷子になっても大丈夫なんだよ。

 

 

あなたは私になる日が来る。

 

 

 

あの頃の私に私の世界を見せてあげる。

 

 

 

 

 

 

 

私の生きてきた世界は

お母さん尊王攘夷の世界

お母さんは私の源

私はお母さんを敬い、

お母さんを悲しませるすべてを

取り除くのは私の役目。

私は極端な言い方をすると

そんな生き方をしてきた

気持ち悪い子供です。

 

大人になって

お母さんに調子を合わせて

親子逆転だわ、って思ってるその中に

私のお母さんに勝利した優越がかくされており

 

「私の方が優れた人間で優れた母親」

 

と、自分を心の中で上に立たせて

いるところも

 

気持ち悪い子供だったからだと思います。

 

 

~~~~後で読み返すと

ここから誰やねん、っていう言葉~~~~

 

 

 

本来は

人と人とは

たとえ親子であっても

年齢も役割も関係なく

同じなのです。

上も下も凄いも劣るもありません。

ただそうなってると

思う自分の想念しか

ないのです。

 

お母さんは

地球上の特別な存在だとする

この世界の人間の想念に

苦しめられているならば

もうそこにとどまる必要がないのです。

 

そもそも

お母さんは

その人を特定するものではありません。

 

子供というと

このようなイメージが湧く、

そのようなものです。

 

社長というと

このようなイメージが湧く

そのようなものです。

 

中学生というと

このようなイメージが湧く

そのようなものです。

 

それはあなたが握ってるイメージにすぎません。

 

私たちは

一人ひとり

違うのですが

 

「蟻」のようなものでもあります。

 

蟻だって一匹一匹

違うのです。

 

ここにいる蟻と

そこにいる蟻は

ちがうのです。

 

が、同じ習性をもち

同じように行動することを

無意識に刷り込まれて

生きていることが大いにあります。

 

それは種を守る機能でも

あるのです。

 

と同時に

同じだと勘違いする

機能でもあるのです。

 

同じは安心安全です。

 

同じく

お母さんは安心で安全をくれる

意識です。

 

その意識のプログラミングが

少しずつ変わってきている世界が今です。

 

今は

安心安全は

本来の自分と調和したときの

感覚なのです。

 

内なる自分と

肉体精神を持った自分の

統合がこの世界の幸せになることを

分かり始めている世界で

 

お母さん

 

という存在への意識は

 

自分との調和を

遠ざける壁になっていることもあるということです。

 

すべての人に当てはまるというわけではありませんが

お母さんの意識は

自分の存在をその下においてしまう

パワーワードになっている人が

いることも事実なのです。

 

 

お母さんは

 

あなたではない。

 

 

この考えだけでも

取り入れて

今日、今を、あなたで楽しんでください。

 

 

 

どくしゃになってね!