仲買いは不当に儲けているか | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

仲買いとは、ある物を売ろうとしている人からそれを買い取って、自分でその物を消費せずに、その物を買おうとしている別の人に転売することを生業にしている人のことです。社会では多くの物が生産され消費されていますが、消費者が生産者から直接物を購入することはあまりありません。つまり、社会で生産される殆んどの物は、仲買いを経て生産者から消費者に届けられています。

もちろん仲買いは売買の仲介を無料で行うわけではありません。生産者と消費者の間に仲買いが介在した場合には、生産者からみれば、自分が仲買いから受け取る金額は消費者が商品に支払う金額よりも少ないことになるし、また消費者からみれば、生産者が受け取るよりも余分の金額を仲買いに支払うことになります。

しかし、仲買いを経ることで商品自体の性質が変わる訳ではありません。もしも生産者と消費者が直接取引き出来るならば、生産者は仲買いを介するよりも高額を受け取り、且つ、消費者は仲買いに払うよりも少ない支払いで商品を手に入れることが可能です。仲買いは生産者や消費者に何ら貢献をしていないという「仲買いたたき」が聞かれるのはこのためです。では仲買いは本当に生産者や消費者に何ら貢献をしていないのでしょうか。今回は仲買いが社会に果たしている役割について考えてみます。


上で述べたように、生産者と消費者が直接取引きを行えるならば、確かに仲買いを抜きにした方が両者にとって有利な条件で商売が出来ます。しかし、問題はどうやって生産者と消費者が出会えるかです。生産者は取引の交渉を始める前に、世の中にいる沢山の人々の中から自分の商品を欲しがっている人を探し出さなければなりません。また消費者からすれば、自分が必要とする特定のものを生産し売りたがっている人を見つけなければなりません。

たとえば、生産者が広告を出して自分の作っている商品を消費者に知らせるという方法があります。同じ商品が幾つかの生産者によって作られている場合、消費者に既に広く存在を知られた商品は、消費者に知られていない商品に較べて高い価値を持ちます。なぜなら、消費者に存在を知られた商品には金を払ってでもそれを購入しようとする人たちが既に存在するからです。ある商品を売ろうとする人が費用がかかってでも広告を出すのはこのためです。広告や宣伝は売り手が消費者を騙すための有害な活動だという主張をする人がいます。確かに、広告や宣伝には偽りの情報が含まれていることもあります。しかし、広告や宣伝には売り手と買い手を結びつけるという重要な働きがあります。この重要さは、広告や宣伝がもしも全面的に禁止された場合に生ずる買い手と売り手の不便を想像すれば理解できます。

生産者と消費者がお互いを探し出すという作業は取引が成立するために不可欠なのですが、この作業には、時間や通信の手段、また情報交換の場や知識、経験、人脈の構築のための資源が必要です。つまり、生産者と消費者がお互いを見つけるという作業はタダでは出来ません。さらに、このタダではない作業を如何に安く上げるかは生産者と消費者双方にとって重要です。なぜなら、売り手と買い手がお互いを探す過程で費用が嵩むと消費者が支払う最終価格が上がり、且つ、その内の生産者の取り分も減るからです。

仲買いは生産者と消費者を結びつけるという役割を果たしています。生産者にしてみれば、自分の製品をまとめて買いに来る仲買いと取引すれば、最終的にその製品を消費する個々の消費者を一人ずつ探し出す必要はありません。また、消費者からすれば、近所の店に行けば自分が必要な製品の一つ一つについて生産者を探し出す必要なく様々な製品を一箇所で一度に購入することができます。


また、社会の中で生産される商品の量や必要とされる品物の量は常に変動しています。農産物の場合には雨量や気温の影響で生産高が変わります。自然災害や人為的な事故によって特定の商品の生産工程に悪影響が出ることもあります。逆に、新技術の導入によって今までより安く多量に生産されるようになる商品もあります。また、人口の中での高年齢者の割合が増えると医薬品や医療の需要が増大します。何かが火付け役になってある商品が急に流行することもあります。社会で生産され消費される様々な商品の供給と需要が常に変動しているということは、それらの価格も常に変動しているということです。商品の将来の価格変動を予想することは容易ではありません。

仲買いは、将来何が高く売れるかを予想しながら仕入れる商品の種類と量を決めています。利益を得ることを目的に商売を行っている以上、仲買いは今よりも価格が上がると見込んだ商品を安く買い入れて価格が上がった時点で売却しようとします。この目論見がうまくいった場合には生産者や消費者から「仲買いは不当に利益を得ている」とみなされることが多いのですが、仲買いの目論見がいつも成功するとは限りません。

上で述べたように、気候の変動や自然災害など予想不可能な要因で変動する供給と需要を正確に予測することは誰にとっても不可能です。従って、予測がはずれて仲買いが損失を被ることもあります。予期せぬ需要の減少が起ったがために、仲買いは生産者から購入した商品を購入価格よりも低い価格で消費者に売らなければならないこともあります。この場合には、生産者の立場からは、仲買いを介することによって自分の生産した商品の価格の下落による損失を避けることが出来たということになります。つまり、仲買いは生産者と消費者を結びつけると共に、将来の価格の変動によるリスクを背負うという役割も果たしているのです。

政府によって仲買いの業務に参加できる業者の数に制限が課されていない限り、生産者が仲買いの業務を兼務することはいつでも可能です。しかし、実際には多くの商品の取引に仲買いが介在しているというということは、生産者や消費者にとっては自分たち自身でこの役割を引き受けるよりも仲買いに頼むことが安上がりだからです。つまり仲買いが存在する業界では、仲買いの存在は生産者と消費者の双方に利益をもたらしているはずです。


仲買いは、日持ちのする商品に関しては、供給が需要を上回っている時、つまり価格が低い時に商品を仕入れておいて、今度は供給が需要を下回っている時、つまり商品が不足して価格が上昇している時に、その仕入れておいた商品を売却します。もちろん仲買いは仕入れ値と売値の差を利用して利益を得ようとして行動しているのですが、品不足の時に商品を放出する仲買いの行動は、需要と供給のズレを合致させるという役割も果たしているのです。

さらに日持ちのしない商品の場合でも、仲買いは売値を上げ下げすることで需要を供給に合わせる役目を果たします。スポーツの試合やコンサートなどの切符は、試合や興行の日を過ぎると価値を失います。つまり切符は日持ちがききません。スポーツの試合やコンサートを提供する興行主は消費者に切符を売るのですが、社会には興行主と消費者の間に介在する仲買いが存在します。ダフ屋と呼ばれる人たちです。

ダフ屋は、人気がある試合やコンサートの切符を興行主の付けた売り値よりも高く売ろうとします。もちろん、興行主の決めた価格よりも高額を支払わなければならない消費者にとってはダフ屋はあこぎな商売を行っているようにみえるのですが、ダフ屋が高値をつけるために切符を買おうとする人の数が減少します。高い人気によって膨れ上がった需要がダフ屋がつける高値によって抑えられて、切符の発行数に近づけられます。試合やコンサートに高い価値を置く人は、ダフ屋のお陰で長い時間並んでも切符が買えないという事態を避けることが出来ます。ダフ屋は切符がそれを最も強く求めている人たちの手に渡るように調整しているのです。

逆に、ダフ屋は仕入れた切符に人気がなければ仕入れ価格を割ってでも切符をさばこうとします。そうなると、興行主が決めた価格では高すぎると思って切符を買わなかった人たちの中には、ダフ屋から割引切符を買って試合やコンサートに行こうと考える人たちが出てきます。ダフ屋が存在しなければ空席が沢山余っていたはずの試合やコンサートに観客が増え、ダフ屋のお陰で多くの人が試合やコンサートを安く楽しめるのです。

ここで注意しなければならないのは、ダフ屋が試合やコンサートの前に切符を買い占めることによって価格が上がるのではないということです。ダフ屋が切符を高く売れるのは試合やコンサートに人気があるからです。試合やコンサートに思ったより人気がないときにはダフ屋が自腹を切ってでも切符を安く売らざるをえません。試合やコンサートの需要をダフ屋が操作しているのではないのです。

要するに、仲買いに価格を変える自由があると、仲買いは自らの利益のために、需要と供給を一致させるように行動します。スポーツの試合やコンサートの切符だけでなく、電気なども保存のきかない商品です。電気の生産者と消費者の間に仲買いを許し、さらに仲買いに価格を設定する自由を与えると、仲買いは電気の需要が供給に合うような工夫を凝らして商売をするでしょう。

ダフ屋を例に取って仲買いの美点を挙げると、ダフ屋はニセの切符を客につかませることがある、それに、二度と捕まえることが出来ないダフ屋の詐欺行為を防ぐことは難しい、だからダフ屋行為は禁止すべきだという意見が出てくるかもしれません。しかし、二度とダフ屋を捕まえることが出来ないとか、ニセの切符の返品や支払いを拒否出来ないという問題は、ダフ屋の行為そのものが不正だから生ずるのではなく、ダフ屋の行為が違法になっているからこそ生まれます。ダフ屋行為が合法であるならば、客が戻ってこられる店を構えるダフ屋や問題が生じたら支払いを拒否できるクレジットカードで取引をするダフ屋が自然に出てくるはずです。人気のある切符を仕入れて定価よりも高く売り、人気の無い切符を仕入れ定価よりも安く売るというダフ屋の行為そのものは不正でないだけでなく、上で述べたように需要と供給を一致させるという有益な働きがあります。ダフ屋行為を違法にしなければならない正当な理由はありません。


以上説明したように、仲買いは、生産者と消費者を結びつけ、価格の変動から生じるリスクを引き受けるだけでなく、供給と需要を一致させるという役割を果たしています。仲買いが存在するのは人々が仲買いを必要とするからです。仲買が不当に儲けているのではありません。仲買いの業務を制限するような法律や規制を導入すると仲買いが社会に果たす有益な働きが妨げられます。



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