|救急隊に搬送された大晦日

 

 

「横紋筋融解症」。ついぞ聞いたことがなかった病名ですが、

意外にポピュラーかつ危険な病気だということは、

23年の大晦日、身をもって知ることになりました。

 

いつからそうしていたのかは今もわからないのですが、

私は、身動きできず、扉をあけたままのトイレの床と洗面所の床を占領するようにうつ伏せで横になっていました。両足を便器の左右に放り出し、何時間、いえ何日そのままだったのか。

 

下半身に「自力で動かす」という感覚はなく、上半身はどうなのか覚えていないのですが、うーんうーんと唸っていたことは記憶にあります。

言葉は出せました。妻が「救急車呼ぶ?」と尋ねてくるのに対し、「だめ、呼ばないで」と叫ぶことはできましたから。結局、彼女が救急に電話しているのが耳に入ってきたときは諦めの気持ちでした。

 

|修羅場。妻と娘に本当に申し訳なくて

24年の夏の終わり。娘に聞いてみました。これまで怖くて聞けなかったこと、「あのとき、パパ(=私)は、どうやってトイレに行ったんだろう?」

娘が答えるには「パパがトイレに行きたいって言ったんだよ、動けないけどって。ママ(=妻)がパパの体を抱えて引きずっていった。すごく重くて大変そうだったよ」

 

あちゃー。それが何日の何時ごろかはっきりしないけれど、そのまま長い時間、同じ場所でうつ伏せになっていたようです。寝ている途中で妻が「○○(娘の名)がトイレに行きたいって」と声をかけてきて、それは理解できました。

「動けないし、見えないから、このままでトイレ使って」と答えたのは、うっすらと覚えています。

「トイレの床、すごかったんだから。パパが下痢とかまき散らしてて、めちゃめちゃになってて、パパが入院したあと、ママは一人で全部きれいに掃除したんだよ」と、娘。

 うーん、と絶句し、妻と娘に申し訳ないと平謝りするしかない私。でも、あのときはどうすることもできませんでした。何も考えられず、死ぬとかどうなるとか、そんなことも頭に浮かんでこなかったし、だから焦るとか自分で驚くということもない、言ってみれば「無」の状態といったところでしょうか。

 

これが、私の「横紋筋融解症」の症状でした。

 

|年末年始休暇の真っ只中、救急車に乗せられて

妻の救急連絡からすぐに救急隊が到着しました。隊の人数は4、5人でしたでしょうか?

隊員の方が家の廊下にシートか担架を広げ、床から持ち上げられた私はその上に乗せられました。もちろん下半身の感覚はありません。もうろうとしながらも話すことができた私は「下着、下着を交換お願いします」とかなんとか言った(叫んだ?)ような気がします。ここでオムツをはかされたのかなあ……

「腕は胸の上で組めますか?」と救急隊に促され、その体勢で家を搬出され、救急車まで運ばれ、ベットに寝かされたのでしょう。そのまま救急車は発進しました。妻は同乗していたのか? たしか、入院荷物を家でまとめ、娘を連れてあとから病院に来てくれたのだと思います。

 

救急車が動き出した時点では、どこの病院に行くか、決まっていませんでした。休日ですし、病院の救急対応も簡単ではなかったはずです。やがて、家から車で10分ほどの総合病院が受け入れてくれることになったらしく、隊員の方が妻に電話連絡をしている様子が耳に入りました。その時点でも、不安とか心細いという感情は私にはなく、「ふーん、あの病院に行くのかあ」とぼんやりしていただけです。

 

(つづく)