こんにちは。

 

 本日は創作落語「つなよし」その三です。

 ここから読んでも問題ありません。

 興味があれば最初からどうぞ。

 

 いつか落語家の方がこのブログを見て、是非高座にかけたいとおっしゃっていただけたらなぁ、と甘い考えで……書いておりません。(笑)

 

連続創作落語「つなよし」その三

 

 はるか昔江戸の町に犬のお医者様がおりまして、名前を大山庵(おおやま いおり)というのですが、犬山先生と呼ばれておりました。
 さて江戸の町には野良犬がたくさん居ついておりましたが、すべて飼い犬ではありません。みな野良。
 ということで犬のお医者様のところに相談に来る酔狂な方はほとんどいなかったのでありますが、この日、たまたま、珍しく、気の迷いか、三吉という男が大きな犬を抱えて大山庵を訪ねてまいりました。
「こんにちはぁ、犬山、いるかい?」
「大山庵ならいますがね」
「そうそう、その犬山、あんたがそうかい?」
「大山ね。その犬は、ひょっとして?」
「そうなんでぇ。うちで飼っているってわけじゃねぇけど、一度ぼた餅をやったら居ついちまってさ。情がうつっちまうと、こんな犬助でも家族みたいなもんだ。病になれば心配でよ。なんとかしてやりてぇと思うじゃないですかい。で、藪医者でもかまわねぇからって、ここへ運んで来たって塩梅です」
「藪だけ余計だが、よくわかった。ほほう、こいつは具合が悪そうな顔をしているね。わおわお、おおん、くくん、くん、わおお、わん」
「あ~、ありがとうございました。ほかの医者をあたってみますんで、このへんで失礼します」
「待ちなさい。待ちなさい。私を頭のおかしい人と思ったのならば是非もないが、他に犬の医者など江戸には、いやさこの日ノ本にはいないよ」
「ですよねぇ。でもさ、いきなり犬の鳴き声を出された日には帰りたくもなりますやね、へへへ」
「無理もない。だが私は犬語に精通しているのでな」
「はい?」
「私は犬と話ができるのだよ」
「はぁ~、こいつはおったまげたねぇ。先生は犬から生まれたんですかい? どうみたって人間だけどねぇ」
「当たらずとも遠からじ。私はね、赤子の頃に山に捨てられたんだ。そいつを育ててくれたのが、山犬だったのさ」
 昔インドでオオカミに育てられたという少年のニュースを読んだことがありますが、そういうケースがかつては稀にあったそうでありますし、犬が犬以外の動物を我が子として育てるという事もあるそうでございます。
「へ~っ、それで犬の言葉を覚えてしまったってわけですかい?」
「そうなんだよ」
「わお、あおお、ううう、く~ん、く~ん」
「お、つなよしがなきだしたね。先生、こいつ何て言ってるんです?」
「つなよしって、この犬の名前かい?」
「へぇ、それがなにか?」
「何かじゃないよ、今度の公方様のご芳名じゃないかね」
「あちらは漢字で綱吉、こっちは平仮名でつなよし」
「変えた方がいいと思うがねぇ」
「そうだなぁ、自分と同じ名前があるってぇのは気分がよくねぇもんかもなぁ。なぁ、つなよしぃ、よしよし」
「将軍様もそうお思いなさるだろうよ」
「で、先生、つなよしは、なんて言ってたんです?」
「ここ一週間くらい便が出ないそうなんだ」
「へぇ。そりゃてーへんだ」
「まず犬を下におろしなさい。尻をこちらに向けて。うっぷ、これは汚い尻だな。どれどれ、え~っと」
「先生、せんせい、変な気分になるんでやめてくだせぇよ。そっちの気があるんですかい?」
「なんだ、これはお前の尻かい。すまないね、私は酷い近目だから。よし、これは本物の犬の尻だ。ふむふむ、下腹が固いね。これは確実に便秘だろう」
「便秘ですかい。そいつは一安心だ。さっさと出してやってくだせぇ」
「要は排泄を促すために刺激を与えてやることだ。猫でも犬でも母親が子供のお尻の穴を舐めているのを見たことがあるかな? あれと同じこと。この犬の尻の穴に刺激を与えてやればよろしい」
「なるほどねぇ。つまり、先生がつなよしの尻を舐めてくれるという訳で」
「馬鹿言っちゃいけないよ。何が悲しくて犬の尻を舐めるものかい。棒の先に水で湿らせた綿を丸めてつける。そいつでお前が刺激してあげなさい。そうすればおっつけ自然に出る」
「わっかりました。やってみます。では、これにてさようなら」
「おいおい、診察代をまだもらっていないよ」
「いるんですかい?」
「そりゃいるよ。私も霞を食べて生きているわけじゃないからね」
「わかりました。ではこういたしやしょう。このつなよしを、診療代のかたに置いてゆきます。煮るなり焼くなり好きなようにしてやっておくんなせぇ。さいならっ」
「おいおいおい、行っちまった。速いねぇ。しようがないな。せっかくの客かと思ったのに銭にはならなかった」
「く~んく~ん、わおわおわお、きゅん」
「ん? なんだい、つなよし、ふむ、そうか便が出たら自分で三吉の家まで帰るから、ご心配なくってかい? よくできた犬だね。あいつにはもったいない」
「わおわお、ううう、くんくん、わおん」
「ほうほう、治療代は自分が稼いで支払う? どうやって? この家の番犬をする? 一度やったことがある? 気持ちはありがたいけどねぇ、取られるものなんて無いんだよ。うん。だから泥棒は入らない。仕事で出掛けたときは留守番をする? 残念だけど、犬の医者を呼んでくれる人はいないんだよ。うん、時代が悪いのかねぇ。このご時世犬に金を掛ける人間なんていやしないからねぇ」

           *

 しかしまぁ人生何が起きるかわからないもので、大山庵の仕事は突然忙しくなるのでありました。
 徳川綱吉の生類憐の令が発布されますと、単なる野犬でもお犬様となりました。当然犬が病気や怪我をすると医者が必要となります。
 江戸時代医師は免許制ではありませんでした。俺は今日から医者だと叫べば医者になれるのでございます。そういった意味で犬の医者が大挙して開業いたしたのでございますが、大山庵の右に並ぶ犬医者はおりません。何しろ彼は犬の言葉がわかるのでありますから、直接犬にどこがどうなのか尋ねることができたのです。
 もうそれからは寝る暇が欲しいほどに仕事が増えてどうしようもない有様。


「先生、仕事の注文はさ、俺が全部引き受けるからさ」
「そうしてくれるかい? 助かるよ。私は睡眠不足が一番体にこたえるんだ」
 いつぞやの治療代を支払うこともなく、あの三吉が今では大山庵のマネージャーみたくなっております。


 ある未明のこと。
「お頼み申します。大山先生。ぜひわが家のお犬様の往診に参られてくださいませ。どうか。お願いでございます」
 商家の手代と思しき立派な身なりの男が、まだ夜明け前だというのに、大山庵家の門をどんどん叩きます。
「ふあああ、なんだい、まだ、一番鳥も鳴いていないじゃないか」
「先生、いかがいたします? ありゃどこぞの大店の使いの者ですぜ。たいそうな銭にはなりますよ」
「三吉、とりあえず、その犬の症状を聞いてきなさい。急病なら仕方ない。出掛けないわけにはいかないだろう」
「へい」

 それで三吉が戻ってきて言うには、どうやらその犬の股間から血が出ていて食欲もなく腰を振る動作がみられるらしい。
「なるほど、そいつは牝犬であろう?」
「へぇ、らしいです」
「それは単なる発情期だ。わざわざ診察に行くまでもないよ。大丈夫だからと使いの者に言っておきなさい」
「でもね、先生。どうしても先生を連れてくるようにと大旦那様に言われたそうで」
「じゃあ、こう言ってあげなさい。私は犬医者だから、酉より先には出られませんとな」
「はい? どういう意味です?」
「十二支で戌年の前は酉年だろう? つまり一番鳥が鳴くまでは私(犬)は家を出ません、酉より先んずることはできません、という謎かけだよ」
「は~、なるほどね。こいつはさすがに巧みな断り方だ。学問のある人の言う事は違うねぇ。わかりました、そう言ってきやす」
「頼んだよ。あ~眠いねむい。ふぁあああ」

「発情期? そうですか。それは一安心。でも大旦那様は納得なされますまい。どうあっても、先生にはご足労いただけませんか?」
「申し訳ねぇ。うちの先生はね、犬だろう?」
「大山庵先生は戌年なのでございますか? はい、それで?」
「え~っと、なんだっけ。鳥がどうのこうの、十二支がどうのこうの。忘れちまった。弱ったなぁ」
「十二支がなにか?」
「あんた、干支はなんだい?」
「はい、猿でございます」

「ああ、それでは永久に犬は出てこられない」

        おあとがよろしいようで