#234 不運続きでも夫婦愛を貫く ~「心中時雨傘」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

祭り祭りなどを巡って夜店出し(“どっこい屋”という景品当てゲーム)を稼業としているお初は母親と二人暮らしをしている。二十歳そこそこの評判の美人で結婚話も多いが、「母親の世話をしなければなりませんので…」と断り続けている母思いの娘である。

 

根津権現で店出しをしていたある夜のこと。下谷稲荷町の自宅への帰りを急いでいるところを、顔見知りで日頃から評判の悪い3人連れの男に襲われ、手籠めにされそうになった。ちょうど通り掛かった男が助けに入って1人を殴り倒し、他の2人は逃げて行った。お初が礼を言って顔を見ると、近所の長屋に住む金三郎という独り者の職人であった。だが、運悪く、殴り倒された男は死んでしまった。金三郎は取り敢えずお初を自宅へ送り届け、母親に経緯を話す。母親も感謝し、お初は「お礼に身の回りの世話をさせて下さい」と申し込む。「人ひとりを殺した身ですから…」と金三郎は辞退するが母親の取り成しもあって二人はその夜のうちに夫婦の約束をした。だが、手放しでは喜べない婚約で、お初は「何年でも待ちます」と言う。

 

ところが、翌朝、お初が人殺しの容疑で番所へしょっ引いて行かれた。逃げた2人が袖にされたはらいせでお初をお上に垂れ込んだのだ。これを聞いた金三郎は大家に昨夜の出来事を話し、母親を大家に託した上で自首する。

 

二人共、自分が殺(や)ったと自供する中、お白州が開かれる。奉行は3人組が札付きのワルであることを知り、「どちらが危(あや)めたにせよ、そちらに罪はない。帰ってよいぞ」と裁きを下した。晴れて二人は、大家の仲人で祝言を挙げた。

 

三人が仲良く暮らしていたある年の酉の市で、金三郎とお初は大家さんに頼まれて熊手売りの応援に出た。その留守に長屋が類焼に及んでいると聞いた二人は急ぎ帰宅した。母親が逃げ遅れており、金三郎が火中に飛び込んで母親を救出したが、自分は落ちて来た梁(はり)で肩を強く打たれて利腕が動かせなくなった。

 

 

 

医者に診てもらうが治る見込みはないと言われる。仕事が出来なくなった金三郎は寝たきりの状態となり、お初が細々と生計を立てることとなった。またしても金三郎に迷惑を掛けたと母娘は申し訳ないという気持ちで金三郎を看護する日々を送った。そうした気苦労もあって、母親は間もなく息を引き取り、日暮里の花見寺へ葬られた。

 

金三郎の傷は悪化の一途を辿り、悲観した金三郎はお初のお荷物にならないようにと自殺を考え、お初の留守中に行商人から石見銀山鼠取り薬を買い求め、服毒しようとする。だが、帰宅したお初にこれを見つけられて取り上げられる。「俺は役に立たない廃人だから先に逝く。お前は幸せに暮らしてくれ」と言う金三郎に、「夫婦というのはそんなものではありません。いっそうのこと、二人で死にましょう。私もこの世に未練はありません」とお初は家財道具の処分を始める。

 

家の後片付けが終わった二人は身形を整えて大家を訪ね、「田舎で養生しますので…」と別れの挨拶をして、母が眠る日暮里の花見寺へ向かう。折からの時雨が一本の傘に入った二人を包む。お堂に矢立が置いてある。お初は筆を取り、傘の裏側に「私たちは夫婦者です。一緒に埋葬して下さい」と墨書し、足元が乱れないようにと両足を紐で結んだ。先にお初が、遅れじと金三郎も石見銀山を服毒し、二人はこの世を去った。

“こぼれ松葉は枯れて落ちても夫婦連れ”、日暮里の花見寺に残る“心中時雨傘”の一席でございます。

 

「心中時雨傘(しんじゅうしぐれがさ)」という人情噺で、五代目古今亭志ん生がしんみりと聴かせていた。“人間万事塞翁が馬”とか“禍福は糾える縄の如し”とかとよく言われるが、この噺のように不運な人には次々に不運が見舞うことが多いような気もする。逆もまた真なりで、人生、誰が仕切っているのか判らないが、全員に公平とはなっていないように思う。

 

 さて、どんなに辛い環境に置かれても夫婦愛を貫いたこの夫婦、一つの生き方を示したものと言えよう。心中という結末は勧められないが、お互いが支え合って生を全うするのが理想の夫婦像と言えよう。

 

 

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