#171 義太夫に泣いた小僧さん ~「寝床」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

長寿化に伴い趣味を持つ人が増え、分野も拡がっている。趣味とは「専門家としてではなく、楽しみとしてする事柄」と広辞苑には書かれている。要は自分が楽しめばいいのだが、その内、それだけでは満足できず他人に腕前を披露したいという欲望が出て来るものである。この人間の持つ弱さを描いた「寝床(ねどこ)」という傑作落語がある。

 

 明治・大正時代には義太夫(浄瑠璃の一つの流派)が大流行(おおはやり)で、中には玄人裸足という人もいましたが聞くに堪えない人も多くいたようです。蜀山人の狂歌に「まだ()き素人浄瑠璃玄人(くろ(・・)うと)がって、()い顔して()な声を出す」という傑作がありますが、このお噺は、4色で言い表された狂歌通りの下手くそな義太夫の語り手である家主を描写したものでございます。

 

 大店(おおだな)の旦那でもある長屋の家主(いえぬし)は義太夫に凝っているが師匠も呆れるほど全く素質がなく、声と節回しは聞いた人に不快感を与えるものであった。しかし、本人はこれに気付かず、誰かに聞いてもらうことを生き甲斐としていた。最初のうちは親戚筋を集めて席を設けていたが、やがて親戚も遠慮するようになり、専ら店子(たなこ)を集めて語るようになった。家を借りている弱みでお付き合いしていた店子連中も最近ではさすがに苦痛になり、口実を設けて欠席する者も増えて来た。

 

 そんな気配に気付かない家主、今日も店子を()んでみっちり語ろうと張り切っている。師匠を呼び、手代の茂三に店子を招集に行かせておいて、嬉々として会場の設営を指揮する。(けん)(だい)を床に据え、座布団50枚、料理70人分、酒や汁粉、茶菓子をふんだんに用意する。

 

 茂三が帰って来る。「どうだった?皆さん来られるかな?」「はい、えー、提灯屋さんは急な大口の注文が入って残念ながら今晩はお伺い出来ないということでした」「不運な奴だな、前回も都合が悪くて来られなかったな。よし今度、差しでみっちり語ってやろう。金物屋は?」「今晩は無尽の集まりで抜けられないとのことでした」「しょっちゅう無尽をやっているんだね。吉田さんの息子さんは?」「商用で大阪に出掛けていて帰りは遅くなるとお母さんが言われまして、本人も風邪で臥せっていて行かれないと申しておられました」「病気では仕方ないね。小間物屋は?」「おかみさんが臨月で今日あたりはという状態なので行かれないと」「よく孕む夫婦だな」と茂三の報告に、家主は段々不機嫌になってくる。

 

 「豆腐屋は?」「何でもがんもどきの大量注文がありまして、…」とがんもどきの製法を話し始める。「私は製法なんか訊いていません!来るのか来ないのか?」「はい、徹夜になるので行かれないと」「(かしら)は?」「揉め事を収めに成田に行かなければならないことになっており、明朝早くに発つので今夜は早寝を…」「もういい、もういい、わかりました。何だ頭の奴!要り用の時は何時でも用立ててやっているのだから、真っ先に来なけりゃいけない立場だろう。今度からは成田山で金を借りたらいい! 要するに皆さん来られないということだね?」「そのようで」「それなら最初から“皆さん来られません”の一言でいい!」と家主はついにご機嫌斜めになる。

 

「店子といっても所詮は他人様、用があれば仕方がない」と少しは物分かりのいいところを見せ、「では今晩は店の者に聞かせよう。番頭さんは?」と言う。「昨日のお得意さんの接待で飲み過ぎ、二日酔いでもう床に就かれました」「あのお人は店の金でならいつも大酒を飲みくさって、意地汚いお方や。清どんは?」「脚気で座敷に座れません」に始まって、胃けいれん、神経痛、眼病などをでっち上げて店の者も全員聞ける状態にないと答える。「婆やは?」「坊ちゃんに添い寝をしています」「茂三、お前は?」「えッ?私は因果と丈夫でして…。わかりました。覚悟を決めて一人で聞きましょう」「覚悟とは何だ!先人が拵え上げた名文句に私が節を付けて聞かそうというのに」「節が付いているから余計にまずい…」。

 

ついに家主はかんかんになって怒り出し、「師匠には謝礼を渡してお引き取り願え。酒や料理は全部捨ててしまえ!もう私は一生語りませんから見台は燃やしてしまえ!それから、長屋の連中に明日中に家を空け渡すように触れて回れ!店の者も全員辞めてもらいます。私はもう寝ます!」と物凄い剣幕で寝所に引っ込む。

ただならぬ気配を案じた使用人の一人が長屋を訪ね、事情を話して全員を招集して来る。誰かが犠牲者になって聞いてくれると思った当てが外れたのであった。

 

豆腐屋が、「いえね、旦那は今頃どんな話を語っているかと気になって仕事が手に付かず、嬶が“それなら職人を雇ってお前さんは行ってきたら?”と言いますのでやってきました。(さび)の所だけでも聞かせて下さい」と家主を取り成す。「そうかい、そうまでしてくれるのは嬉しいことで職人の手間賃は私が持つが今晩は気分が悪いから語りません。帰っておくれ」と軟化の兆しは見せない。豆腐屋を始めとして長屋の連中が次々に「少しだけでも聞かせて下さい。お願いします」と煽ててご機嫌を直してもらおうとする。「いえ、今晩はもう…、え?どうしても?…、一段でも?でも今晩はもう…、そうかい?…、出し惜しみしている?そんなことはないが…、芸人はつらいな」と、聞いてもらいたい気持ちとプライドとが葛藤をする。到頭プライドが負けて「わかりました。それなら今晩はたっぷりと語りましょう」と機嫌を直す。連中はがっくりし、秘かに溜息を洩らす。

 

家主が「師匠は?」と店の者に訊く。「帰ってもらいました」「料理は?」「店の者で全部いただきました」「馬鹿! 私が癇癪を起して命じたことはしばらくは様子を見るもんだ、待ってましたといわんばかりに片付けてしまって。もう一度師匠にご足労願うよう一走りして、料理も用意しておくれ。見台は燃やしてないだろうな?」とそわそわと衣装を整えて見台の前に座り、本職並みに御簾(みす)を垂らす。

客席では一同が飲み食いを始める。「これで義太夫さえなければ…」と話していると恐怖の義太夫が始まった。「人間の声じゃないね。皆、頭を下げろ!この前あの声にもろに頭をぶつけて()太熱(・・)を出した奴がいるから気を付けろ~」「おい、偶には褒めてやれよ」「うまい!…この羊羹」「待ってました!音羽屋!」「バカ、それは歌舞伎だ」。

  

いつのまにか客席がシーンとする。皆、聴き惚れて感動しているんだなと家主が御簾を上げて客席を見ると、全員横になって眠り込んでいる。「なんだこの様は!? おい、番頭起きろ!」「どうした、どうした!」「どうした!じゃないよ、皆さんを起こして帰ってもらっておくれ!全く怪しからん奴らだ」と憤懣遣る方ない様子。と、12歳になる小僧の定吉が一人起きていてしくしく泣いている。「おお、お前だけが聞いて泣いてくれていたのか、どの話がよかった?子供が登場する悲しい場面だな?“馬方三吉子別れ”の場面か?」とやさしく訊き、「いえいえ、そんなところじゃない」と小僧が泣きながら答える。「ああそうか、“宗五郎の子別れ”だな?」「いえいえ、そんなところじゃない」「じゃあ、“仙台萩”か?」「いえいえ、そんなところじゃない」「じゃあ、いったいどこなんだ?」「あそこです」「あそこは私が今まで義太夫を語っていた(ゆか)ではないか?」「あそこは私の寝床なんです」。

 

 

 八代目桂文楽の至芸に代表される古典の名作である。

 

 八代目文楽はマクラで「義太夫は明治・大正時代に主に大阪で大流行した」と話していたが、当時は船場の商家の旦那衆がこぞってお師匠さんに付いて義太夫を稽古していたようである。義太夫は「人形浄瑠璃文楽(通称:文楽)」で太夫(たゆう)によって語られる三味線を伴奏とした音楽で、こうした旦那衆が文楽人気を支えていたようである。が現在では様変わりしており、“義太夫”という言葉すら知らない人が多いのではなかろうか?文楽そのものの人気の下降と共に影の薄い存在となっているようである。この状況を打開しようと、義太夫の体験会などを企画して義太夫ひいては文楽ファンの拡大につなげようとする関係者の動きもあるようだ。また、文楽そのものも、夏休みには子供向けの特別公演を開催して将来のファン獲得を目指す努力もなされているようである。

 

 

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