明治維新となって武士階級が失業し、奉還金(退職金)が支給された。これを元手にして商売を始めた武士が多くいたが、気位の高さが災いして大抵は上手くいかなかったようである。これを「士族の商法」と呼んだ。また、この金を狙って武士を食い物にした詐欺師も横行したようであった。「素人鰻(しろうとうなぎ)」はそんな時代背景を持った噺である。
一人の武士が金という鰻職人の薦めで奉還金をはたいて鰻屋を開業し、金を料理人に雇った。ところが金は酒乱で、酒が入ると人が変り、仕事をしないという悪癖があった。何度かこうした事態が重なって、とうとう主人は金を首にした。だが商売を止めるわけにもいかず、自分で鰻の調理をしようとするが素人の悲しさで鰻を捕まえることもできない。糠を振ったり、ざるを使ったりして鰻と格闘するが鰻はにょろにょろと主人の手から逃げようとする。逃がすまいと主人も前へ前へと進み、遂には表へ飛び出す。客が「ご主人、何処へ行くんですか?」と訊くと、「拙者にはわからん。前へ回って鰻に訊いてくれ」。
この噺は、観る落語とも言うべきもので、鰻を捕まえようと格闘する場面が見どころである。八代目桂文楽の専売特許とされており、あまりの至芸に他の噺家たちが敬意を表して高座に掛けるのを遠慮したようである。
「素人鰻」と同工異曲のものに「鰻屋」という噺があり、こちらが専ら高座に掛けられている。両手の親指を鰻の頭に見立てて鰻を捕まえようとする二代目露の五郎兵衛の熱演が記憶に残っている。
落語は話芸ではあるが聴くと共に観る芸である。噺家の表情や所作も併せて鑑賞するのが正しい落語の鑑賞法であると言えよう。この「素人鰻」や「鰻屋」はそんな鑑賞の仕方が求められる一席である。
扇子や手拭いで色んな物をそれらしく表現する芸は落語独特のもので、味わい深いものがある。私などは、三代目桂春団治が噺に入った所で両袖を持ってするりと羽織を脱ぐ所作に男の色気を感じたりしたものである。また、二代目桂枝雀が型破りなオーバー・アクションで一時代を築いたことも記憶に新しいところである。
【雑学】鰻丼が登場したのは江戸時代後期の頃で、出前の蒲焼が冷めるのを防ぐ目的で考案されたそうである(北嶋廣敏著「江戸人のしきたり」)。当初は100文であったが後に200~300文になったと同書は書いている。恐らく人気が出たのであろう。現在の値段にすると2,000~3,000円位と推定され、ちょっと高めの食べ物であったようだ。
落語に鰻を食べる場面がよく登場するが、それは客をもてなしたり、たまに贅沢をしようかという時であり、私も同様で、何か親しみを覚えるものがある。
昨今は、稚魚が激減して高騰するなどして、世界のウナギ需要の70%を占めている日本への影響は大きく、日本人の食卓から遠ざかって行く傾向にあるが、種の保護のためには止むを得ないことであろう。
(東福寺・京都 2005年)