#22 落語は経営にも役立つ? ~「三軒長屋」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

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1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

ある著名な経営者が次のようなことを言われていたのを落語ファンとしてよく覚えている。

「古典落語は経営の原点を思い起こさせてくれました。『三軒長屋』『化け物使い』などを聴くと、昔も今も人の気持ちに変わりはないと教えられました。ともすれば経済合理性が優先される現代にあっても、人と人とのつながりが大切です。落語には経営のヒントが詰まっています」という趣旨の話であった。

落語を聴けば誰でもヒントを得られるというものではなく、同氏は常に問題意識を持っていたからこそ落語からもヒントを得たのであろう。そして、物質文化は大きく変化してきたが精神文化は変わっていないという認識には全く同感である。“温故知新”という格言もこの辺りのことを言ったものであろう。

落語には経営能力を高める効能・効果があるなどと言うつもりはない。ただ、落語は人間を扱い、題材を多くの分野から採っているのでヒントを産む確率は高いと言えよう。

 

ではどんな噺なのか、同氏が挙げた「三軒長屋」を聴いてみよう。

 

三軒長屋の真ん中の家に質屋の旦那のお妾さんが住んでおり、隣には鳶職(高所で仕事をする者、火消しを兼務することが多い)の頭(かしら)が、もう一方の隣には剣術指南の先生が住んでいる。

頭の家には鳶の若い衆がしょっちゅう出入りして酒を飲んでは大騒ぎをする。気が荒く口が悪い連中ばかりなので喧嘩も絶えない。一方の先生宅は昼夜を問わず剣術の稽古が行われ、竹刀の音や奇声でこちらも騒音が絶えない。

両家の騒がしさに音を上げた妾が「引越ししたい」と旦那に懇願すると、「あの三軒長屋はうちの質草に入っており、間もなく流れて私の物になる予定だ。そうなったら三軒を一軒に改造してお前に住まわすからそれまで辛抱しなさい」と旦那はなだめる。

この内輪話を妾の下女が井戸端で口をすべらし、頭のおかみさんの耳に入る。おかみさんからこの話を聞いた頭、何やら思案していたが「ちょっと剣術の先生の所へ行って来る」と出掛ける。先生宅を訪問した頭はこの話をした上で、「実は先生に相談したいことがありまして」と何やらヒソヒソ話をして帰る。

翌朝、剣術の先生が妾宅を訪れ、「門弟が増えて手狭になったので何処かへ引越ししたいが当座の金がない。そこで剣士を集めて3日間の千本試合をやり、そのご祝儀を引越しの資金にしたいと考えておる。何分、真剣による試合なので怪我人が続出し、お宅へ逃げ込むことも考えられるので3日間戸に鍵を掛けて外へ出ないようにしていただきたい」と言う。ちょうど居合わせた質屋の旦那が「そんなことをされたら内の奴が困ります。当座の資金はどれほどお入り用でしょうか?」と応対に出る。「50両だ」「ならば私が用立てましょう。金は差し上げますから試合は中止していただきたい」「それはかたじけない。しからば明朝早々に引越すことにしよう。世話になった」と金を貰って帰って行く。

入れ替わりに今度は頭が訪ねて来て、旦那が応対に出る。「今度大きな仕事を引き受けることになりました。大勢の鳶を住まわせるには今の家では狭過ぎるので引越ししたいのですが先立つものがないのでその資金集めに“いろは48組”全員を集めて大花会(博打の会)を開くことにしました。気の荒い連中ばかりですので、刃物を振り回しての喧嘩沙汰も起きかねないので用心してもらいたいとご連絡に上がりました」と頭が言う。「それは困ります。どれ位の金があれば引越していただけるのでしょうか?」「50両です」「ならば私がそのお金を差し上げましよう」「それは相済まないことで。では遠慮なくこの金を頂いて、明朝早々に引越すことにします」。

「ところで、剣術の先生も先ほどお見えになって明朝引越すと言われていたが、お二人はどちらへ引越されるんですか?」「はい、先生が私の所へ、私が先生の所へ引越します」。

 

広辞苑で「引越し」「転居」「転宅」を調べたが、いずれにも“遠くへ”という文字は出て来ない。この噺は“引越しといえば遠くへ”という人間が陥りやすい先入観を突いた傑作である。先入観を捨てたことで生まれたアイディア商品やサービスも多いのではなかろうか。この噺の原典は「野ざらし」と同じく中国の古典「笑府」だそうである。

 

 


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