#19 放蕩息子を扱った傑作 ~「唐茄子屋」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

9月中旬頃からスーパーなどでハロウィン・グッズが置かれるようになった。置き場スペースが前年より拡がっているようで、アメリカのお祭りが遂に日本でも定着化していくのかの思いがしている。

 

 

 上の写真は2011年頃、ニューヨークに住んでいた小学生の孫が体験した本家アメリカのハロウィンの様子である。大変楽しかったようであった。

 

ハロウィンと言えば“カボチャ”である。カボチャ(南瓜-ナンキン-とも言う)は江戸では唐茄子と呼ばれた。落語「唐茄子屋(とうなすや)は放蕩息子が反省して炎天下で唐茄子を売って歩き、人助けをしたという人情噺の名作である。

 

 廓通いなどの遊びが過ぎて勘当となった若旦那、「米の飯とお天道様は従いて回らァ」と啖呵を切って家を飛び出す。これまでに多額の金を使っていた関係で花魁、お茶屋や幇間などがしばらくは面倒を見てくれるが金の切れ目が縁の切れ目で、「勘当が解けたら又いらっしゃい」と体よく放り出される。また、親戚筋や出入りの職人達には「倅の面倒は一切看ないでくれ」という回状が父親から回っているから何処も取り合ってくれない。カンカン照りのお天道様は従いて回るが飯の方が従いて来なくなる。

 若旦那、ようやく目が覚めたが“後悔先に立たず”で時すでに遅く、乞食同然の姿で町を彷徨った挙句、吾妻橋から身を投げようとするが、偶々通り掛った男に助けられる。助けたのは叔父さんに当る人で、見殺しにするわけにもいかず、死ぬまでの反省をしているのなら脈もあろうから性根を入れ直してやろうと家に連れて帰り、その日はたらふく飯を食わせて休ませてやる。

 翌日、早起きさせて唐茄子売りの行商に出すことにする。「知り合いの女の子に見られ

たら格好が悪い」と若旦那は躊躇するが、叔父さんの剣幕に圧倒されて行商に出る。慣れない重い天秤棒に耐えかねて転んだ所を一人の男に助けられる。気の良い男で唐茄子を買ってくれた上に知り合いにも声を掛けて売ってくれる。

 残った2つは何とか自分で売ろうと歩いていると、遠くに吉原遊郭が見える。放蕩していた頃をついつい回想するが、気を入れ直して「唐茄子屋でござ~い」と裏長屋へ差し掛かると、みすぼらしい格好をした内儀に呼び止められて唐茄子を1つ買ってもらう。初めて自分がやった商売に感激した若旦那、残りの1つをおまけに上げる。

 唐茄子を完売し、ちょうど昼時でもあったのでその家の玄関先を借りて持参してきた弁当を食べようとすると、内から5歳位の男の子が出て来て「ご飯が食べたい」と言う。事情を訊くと、「夫は浪人で出稼ぎに出ているがこのところ仕送りが無く、昨日からご飯を食べていない」と言う。ひもじさの辛さを人一倍知っている若旦那、弁当を子供に与えた上に売上金の全部を置いて立ち去る。

 手ぶらで帰ってきた訳を若旦那から聴いた叔父さん、若旦那を連れて裏長屋へ確認に行く。と、かの内儀が首を吊ったと大騒ぎの真っ最中。二人が事情を訊くと、若旦那から金をもらったのを目撃した大家(おおや)が滞納家賃分として取り上げていき、内儀は若旦那に申し訳が立たないと自殺を図ったものだという。

これを聴いた若旦那、大家宅へ乗り込んで薬缶で頭を叩くなどの制裁を加える。日頃の因業ぶりに頭に来ていた店子(たなこ)連中も、大家の頭の傷口に唐辛子を塗るなどの加勢をして溜飲を下げる。

 一方の叔父さんは大家を被告としてお上に訴え出、取調べが行われた結果、良くない行状が次々に明るみに出て大家は所払いとなる。

 内儀は手当てが早かったので蘇生し、若旦那は奉行から母子を助けたご褒美をもらう。これが父親の耳に入って勘当が解けたというお目出度い噺である。

 

 放蕩の挙句勘当された息子が登場する噺は実に多い。親父が作った一財産を息子が浪費してしまうという事例が実社会でも多かったのであろう。辛酸をなめたこの若旦那はその後改心し、親父の後を継いで事業家として大成したであろうと私は思う。

 この噺は長い一席である。ラジオやテレビでは持ち時間の関係で大抵の場合は途中で打ち切り、「唐茄子屋の序でございます」と言って高座を降りている。私が全編通しで聴いたのは五代目古今亭志ん生の高座のみで、54分にも及んでいる。

 また、志ん生「唐茄子屋政談」という演目で演じていたが、政談いわゆるお裁きの場面は噺の中には出て来ず、後日談として語られているだけである。この為、“政談”を付けない「唐茄子屋」が一般的な演目となっている。

 

カボチャはいろんな調理法があるようで、落語の中では安倍川にして食べたという件があるが、私は天婦羅として食べるのが一番好きである。カンボジアが原産地で、中国(南京)を経由して日本に伝わったそうで、そのルート名が名前として今に残っている。

 

 


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