あっつい。

夏が真っ盛ってますよ。

今日も私の部屋は40度を越えております。

話題の熱中症の気配は微塵もありません。

極めて健康です。








さて、夏と言えば心霊現象。

今回はこれについて述べてみたいと思います。






見えてはいけないものが見えた。

聞こえてはいけないものが聞こえた。

写ってはいけないものが写った。

ナドナド、霊的な現象の話は枚挙に暇がない。





しかし、それはホントに見えているのだろうか?

聞こえているのだろうか?






基本的に人間の脳ってのは

関連付けをせずにはいられない

ってゆう性質を持っています。

ドットで描かれた図を見たら

何かしらの絵に見えます。

電光掲示板とかも普通に考えると板の上に並んだ

小っちゃい電球が明滅しているだけなのに

文字が流れていくように見える。

アニメーションとかも分かりやすい。

ちょっとづつ配置が変わった静止画を

連続で見ると滑らかに動いているように見える。

余談ですが、人間の脳の処理速度を考えると

1秒に24枚くらいがちょうどいいそうです。







そして、人間の脳が最も反応するのが

人間の顔、声であります。

これは他人を見分けるために

進化の過程で手に入れた機能である。

これがあるからたくさんいる他人を識別できる訳ですな。








結局、人間の顔、声に無意識に反応し

関連付けをしたくてしょうがない脳が

天井のシミ、煙のムラを人の顔に見せたり

風の音を人の声に聞こえさせたりしちゃうのです。

「 うわぁぁぁ~~~なんか写ってる~~~~ 」

に関しても然り。

ただの偶然に過ぎない。










まぁそれでも、科学では解明できない現象もたくさんあるわけで

これに関しては・・・まぁ・・・アレですな・・・

そんなこともあるよってことで。

科学は頼りになりますが万能ではないのです。

見える人と見えない人がいるような

検証が困難な事象は科学の外にあるのです。















電光石火で終了したので、「 みる 」

ってことについて述べてみたいと思います。





そもそも「 みる 」とはどうゆうことなのか。

人間は目で「 みる 」訳ではない。

目は感受器官に過ぎず

可視光線とゆう電磁波が目に入ってきた時

脳に微弱な電流が発生し

それを脳で処理してはじめて「 みる 」ことになる。






目に入ってきた情報はいったん全て脳にいき

脳で必要なのと不必要なのを取捨選択します。

つまり注意していないものは

「 見 」てはいるが「 観 」てはいないのです。

目の端の方で「 見 」えたものが

脳の作用で人の顔とかに関連付けられたりします。

ビクッッッ!!ってなります。

「 見 」えているのを無意識に脳が記憶していて

夢に出てくることもあります。







霊的なモノが「 観 」える人ってのは

脳の視覚野(視覚を司る脳の領域)に

何らかの原因で直接的に電流が発生し

目から入ってきた情報と同一化されているようです。





はたしてこれは「 観 」ていると言えるのだろうか。

先ほど、目に入ってきた刺激によって

脳に電流が発生して「 見る 」コトを述べたが

それと脳に直接発生した電流とは区別することができない。

つまり「 観 」ていると言えるのである。

脳の中で生じる現象なだけに

他人にはうかがい知ることはできない。

なんか知らんけど脳に電流が生じやすい人が

霊感が強い人だと言えるようです。

金縛り中になにかしらを「 観 」てしまうのも

脳が覚醒と睡眠の中間にあって

現実と夢との区別が曖昧になっているため

なんじゃないかなぁと思います。

金縛りについてはもういいでしょう、省略。

もちろん、これは色んな情報を

私なりに解釈して出た結論なので

そうじゃない可能性も大いにあります。

むしろ、そうじゃない可能性のほうが高い可能性があります。

脳に流れる電流を計測するマッシーンはあるが

あくまでも脳に電流が流れているのが分かるだけで

何が「 見 」えているのか、「 見 」えていないのかは

知ることができない。






シャーマニズム、いたこ等も

自らをトランス状態に持っていって

恣意的に脳を麻痺させ

謎の電流が起こりやすい状況をつくり

神や霊魂といわれるモノの

声を聞いたり、姿を「 観 」たりするものである。

これも実際に「 観 」たり聞いたりするモノとの

区別をつけるのがムヅかしい。






将来、科学の発達によって脳の機能の解明が進み

カメラから得た情報を電流に変えて

脳に反映させる究極の義眼が開発されるだろう。

人工的なものだが「 見る 」ことができる。

電流の制御不良によって

「 見 」えてはいけないものが「 見 」える可能性もある。

これもまた現実のモノ、霊的なモノが「 見 」えるのと

区別することはできない。






今、「 見 」ている世界が現実のモノだと

言い切ることができるだろうか。

現実とはいったいなんなのか。

「 見 」ているのが現実なのか

現実を「 見 」ているのか。

SFの世界ですな。マトリックス的な。

そして哲学的ですな。

検証が不可能な事象に関しては

考えても無駄なので、考えないようにします。

誰か忘れたけど偉い哲学者が言ってました。

まったくもってその通り。偉い!!


















しかしまぁ、理屈では分かってても怖いことはあるよなぁ。

真っ暗な廃院とかはさすがに無理だもんなぁ。

ビビッてるってだけでもう脳はソッチ系のモノに

関連付けしたがるしなぁ。

生まれた時からの環境によって形作られた恐怖ですな。

アメリカの幽霊には足があるように

文化によって見えるモノの姿も違うのも

大変興味深い事実ですなぁ。

暗闇なんてのも遺伝子に記憶された死への恐怖。

高いとこが怖いのと似たようなもんだ。












一番怖いのは

家に帰って電気つけたら

知らん人が包丁持って立っている。

なんて状況だろうか。

想像しただけで、恐ろしさがそこはかとなく漂う。

結局、霊的なモノより人間の方が怖いのです。

シャンプーしてて目をつむっている時に

誰かに頭を触られるのも

チビリそうなほど恐ろしい。














明日は久米カントリークラブに行くので

これから打ちっぱなしにいってきます。