この本で興味深かったのは境界条件のとこです。



どうゆうことかとゆうと

超でかいまん丸な球の上を歩く虫には

そこは二次元のまっ平らな世界としか感じることができません。

ず~っとまっすぐ歩くといつの間にか同じとこに戻ってしまいます。

虫にとっては 「ありゃっ、なんでじゃ。」

ってことなんだけど

三次元の世界に住む我々にとっては

そんなの球なんだから当たり前ジャンってことになる。

それは虫には理解できない。

だって外から見れないんだもの。

これと同じことが三次元の世界にも言えるんである。

宇宙をず~っとまっすぐ行くと

いつの間にか元の場所に戻っちゃう。

これが宇宙には境界がないっていうこと。

四次元の世界から見ると当たり前なんだけど

三次元の世界に住む人間には理解できない。

だって四次元にはいけないんだもの。

四次元ってのは簡単にゆうと

影が三次元の立体になる空間。



う~む、興味深い。一つの説に過ぎないけどね。






こうゆう宇宙がどうたらって本読むと

人間のちっぽけさが身に沁みるゼ。

俺が死んだところで悲しむ人は何人かはいるんだろうけど

世の中は何も変わらず回っていく。

とゆうか誰がいなくなったって、偉い人が死んだって

世の中は何も変わらず回っていく。

世の中にとって自分は特別な存在ではない。

地球にとって人間は特別な存在ではない。

宇宙にとって地球は特別な存在ではない。

心配しなくてもその内人類は絶滅するんだから。






まぁ、かなりの奇跡的な偶然とはいえ

この世に生まれてきて、自分が自分であると認識できることは

「 超絶ラッキー地獄じゃねぇか!! 」

ってことで、グダグダ悩んでみたり

ネチネチこだわってみたり

ブーブー不平不満を言ってみたりしても

しょうがないんじゃなかろうかと思うんですよ。

小さい小さい。

よ~~~く考えたら

どれもこれも自分が思ってるほど大したことはないぞ、実際。

どうせなるようにしかならんのんじゃい。

人生楽しんだもん勝ちだもんね。

と、いいながらも

その分様々なリスクを背負わにゃいかんという

若干シビアな面もありつつ・・・

悩みも、悲しみも、辛いことも

みんなひっくるめて楽しんじまわないかんな。






まぁ、なんとかなる!!

・・・んじゃ・・・ないかなぁ

・・・・・・たぶん。





なんとかなりますように(無神論者の神頼み)。

チーン








あっ、別になんとかならなくてもいいんだけどね、俺的には。