分子生物学という科学の分野をご存知だろうか。
生命や生物を、原子や分子といったミクロな視点から
理解、解析しようとする学問である。
それによると、原子の数は地球が生まれた時からそれ程変化がないらしいぞ。
どういう事かっつうと、俺ら人間の身体(もっと広く捉えると地球上の全ての生物)
を形成する原子は何億年もの間に形を変えながら巡り巡っているだけ
という事なんである。
つまり、生物が生じた時から食物連鎖が連綿と連なっており
俺の身体を構成している
窒素、炭素、酸素、水素等の原子は過去のいずれかの時代には
牛だったり鯛だったりアサリだったり白菜、杉、ドングリ、ミミズ、オケラ、
ミジンコ、プランクトン、なんだかよく分からん虫などを構成していたものなんである。
これはまさに輪廻転生!!
人間を含む生物の存在、連なりに関して、最先端の科学と仏教とが
全く異なる角度からのアプローチでかなり近い結論を導き出しているんである。
激しく興味深い現象であるなぁ。
仏教は魂などという目に見えない概念(人間が創出したものと思われる)
に軸があるのに対し
科学は観測可能な物質や現象に基礎を置いている点で異なる。
俺としては、仏教的な輪廻はどーも信じる気になれんのだが
原子が巡り巡ってるっつうのは、なるほどなぁ、そうかもしれんなぁ
と思う次第。
そしてさらにもう一歩考察を深めてみると、生物が生じる前の段階
地球に大気ができた時から原子の転換は続いている事が分かる。
これ以上いくと、地球ができた時から、宇宙ができた時から
って感じでキリがないのでこの辺で止めとく。
我々人間といえども、大気(厳密には海、大気ができた後に海ができて
そこに生命が誕生した)から派生していて
原子の集合体である物質に過ぎないんである。
パソコン、プレステ、ギター、ゴミ箱、オロナイン、じゃがりこ等と同様
物質で構成されている人間に、意思や感情が生じているという現実は
気絶しそうな程、非常に不可解な現象である。
(そこら辺にゴロゴロ転がっている石に意思が無いと断言することはできないが
証明することが不可能に近いのでシカト)
こうなってくると、人間という物はいったいぜんたいなんなんじゃい。
理解を超えてしまって思考停止。
と思ったけど、人間には微電流、ホルモンや酵素などの化学物質が
関与しているため、生物学的にはもうちょっと掘り下げれるな。
また暇なときにでも考えよう。
生命や生物を、原子や分子といったミクロな視点から
理解、解析しようとする学問である。
それによると、原子の数は地球が生まれた時からそれ程変化がないらしいぞ。
どういう事かっつうと、俺ら人間の身体(もっと広く捉えると地球上の全ての生物)
を形成する原子は何億年もの間に形を変えながら巡り巡っているだけ
という事なんである。
つまり、生物が生じた時から食物連鎖が連綿と連なっており
俺の身体を構成している
窒素、炭素、酸素、水素等の原子は過去のいずれかの時代には
牛だったり鯛だったりアサリだったり白菜、杉、ドングリ、ミミズ、オケラ、
ミジンコ、プランクトン、なんだかよく分からん虫などを構成していたものなんである。
これはまさに輪廻転生!!
人間を含む生物の存在、連なりに関して、最先端の科学と仏教とが
全く異なる角度からのアプローチでかなり近い結論を導き出しているんである。
激しく興味深い現象であるなぁ。
仏教は魂などという目に見えない概念(人間が創出したものと思われる)
に軸があるのに対し
科学は観測可能な物質や現象に基礎を置いている点で異なる。
俺としては、仏教的な輪廻はどーも信じる気になれんのだが
原子が巡り巡ってるっつうのは、なるほどなぁ、そうかもしれんなぁ
と思う次第。
そしてさらにもう一歩考察を深めてみると、生物が生じる前の段階
地球に大気ができた時から原子の転換は続いている事が分かる。
これ以上いくと、地球ができた時から、宇宙ができた時から
って感じでキリがないのでこの辺で止めとく。
我々人間といえども、大気(厳密には海、大気ができた後に海ができて
そこに生命が誕生した)から派生していて
原子の集合体である物質に過ぎないんである。
パソコン、プレステ、ギター、ゴミ箱、オロナイン、じゃがりこ等と同様
物質で構成されている人間に、意思や感情が生じているという現実は
気絶しそうな程、非常に不可解な現象である。
(そこら辺にゴロゴロ転がっている石に意思が無いと断言することはできないが
証明することが不可能に近いのでシカト)
こうなってくると、人間という物はいったいぜんたいなんなんじゃい。
理解を超えてしまって思考停止。
と思ったけど、人間には微電流、ホルモンや酵素などの化学物質が
関与しているため、生物学的にはもうちょっと掘り下げれるな。
また暇なときにでも考えよう。