少し前にアニメ映画『百日紅』を観てきました。原作は今は亡き杉浦日向子先生の同タイトルの漫画です。
原作は1話完結の形式を取っています。映画のストーリーは北斎家族の関係を縦軸に個々の話が横糸としてエピソードに組み込まれ幻想的な図が出来上がっていました。
さて、今回アニメとして改めて観たエピソードでひとつ原作を読んだ時とは違う感触を得たものがありました。
原作では『鬼』という題名の回のお話です
ちょっとネタバレになってしまいますので知りたくない方はご注意くださいね。
このエピソードの大まかなあらすじを書きますと、北斎の娘でこの映画のヒロインである栄さんがあるお武家さんの依頼を受けて衝立に地獄図を描いたところから始まります。家の主人が後生を願って作ったその衝立はとても見事なものでした。見事すぎたのが災いとなりました。
その衝立が来て以来、家の奥方の精神に異変が起こります。彼女は様々な恐ろしい妖を見るようになり、ついにはふとしたはずみで小火を起こしてしまうのです。困った主は版元を通じて作者である北斎父娘に助けを求めます。
地獄絵図の下絵を見た北斎はひとこと「お前はいつも始末が悪いんだよ」と言い、武家に赴くとさらりと衝立の地獄絵図に亡者を救う地蔵菩薩の姿を描き足します。その夜、武家の門前には――幻影か現実か定かではありませんが――地獄の火車が到着していたのですが、地蔵菩薩のおかげか誰もその車に乗ることもなく、翌朝、雛を抱く燕の巣をみながら北斎父娘は屋敷を後にするのでした。
原作ではお栄さんの絵の見事さが感受性の強い奥方に幻想を見せた。その幻想が真に鬼を呼び寄せたと見えるのですがアニメで改めてエピソードをたどってみると、さてそれだけなのだろうか、という何かをそれこそ衝立の向こうに隠されたような感触がありました。
お栄さんの絵の見事さが奥方の精神を揺らしたのは間違いないでしょう。では揺らされた奥方の方にも揺らされるだけの種があったのではないか、と。
奥方のみた幻影をアニメで色付きでみると新たにそんな疑惑が浮かんだのです。
地獄とは罪を犯したものが堕ちる場所です。奥方には内に秘めた罪の意識があったのではないでしょうか。
ではその罪とはなんだったのか。
奥方はまず亡者の声を聞きます。その後、白木蓮の下に鬼の幻影をみます。鬼が木を揺らすたびにしゃれこうべや白い骨が木からこぼれ落ち、その傍らでは箒を持った骸骨がかかと笑います。現実にははらはらと散る木蓮の花弁とこちらへ声をかけてくるお女中さんという光景なのですが奥方にはそう見えてしまうのです。
やがて小火の発端となる幻影をみます。腹が異様に膨れた人の影のようなものが奥方にせまりそれを払いのけたはずみで行燈が倒れ炎に巻かれてしまいます。なにごとかと駆けつけた家人が見た炎のなかの奥方の顔は般若となっていました。
この3つの幻影をつなげると奥方の隠された罪がなんだったのか見えてくる気がします。
鬼は木を揺らしているだけではなく木を引っこ抜いて下に埋められたなにかを暴こうとしているようにも見えます。埋められた何かを象徴するのは零れ落ちる骨と動く骸骨と化した女中さんの姿です。
迫ってきた幻影は腹の膨れた餓鬼にも見えますが妊婦さんの胎のなかの胎児のようにも見えます。
そして、般若とは嫉妬に狂った女の表情をあらわす面だとも言われています。
原作でもアニメでも表出したエピソードを並べるだけで奥様の内面は描写されません。それゆえに私のように勝手に頭のなかで話を組み立てて勝手に恐怖心を膨らますことが出来るわけです。
怪談は綺麗にオチをつけられるよりも、最後に宙に放りだされる方が怖いものですね。