本屋を始めるには当たり前だが商品とする本が必要である。
そして古本屋をやろうと思うくらいだからまあ私も渡月さんもかなりの冊数を持ってはいる。
しかし数ヶ月前、蔵書のなかから店に出す本を選ぼうとした時、ひとつ困ったことに気が付いた。渡月さんはともかく私の蔵書はまったくもって統一性がなかったのである。それとも誰の本棚もこんなものなのだろうか。
お店、特にネットショップではコンセプトが重要だと素人考えながら思っている。渡月さんと話し合い、一応のコンセプトは決定している。
当時の私はそのコンセプトを念頭に自分の本棚を新たな目で眺めてみていた。
――『死体は語る』の横に肉料理の本が並び、更にその横に岩波書店の古事記が並んでいる。
うむ、どうしよう。とても統一性がない。
そしてその様子は言い訳出来ないほどに私の性格をよく表していた。
私は人の本棚を見るのが好きで許しをいただければ嬉々として拝見させていただく。だが考えてみれば本棚というものはその人の人格の一部分を表現しているものでもあると思った。
水着の女性の胸元をわざわざ覗きこむ的な失礼な行為だったかもしれないと過去の行動をちょっと反省した。
しかし過去において一番驚いたのは家に本棚が無い人がいるということだった。幼い頃から活字中毒の気があった私にとっては衝撃だった。
世の中に本を読まなくとも普通に暮らせる人がいるなんて!
今なら本を読まないと中毒症状っぽくなってコピー機の取扱い説明書まで読みだす自分の方が変だという自覚はあるが当時はそう思っていた。
話を私の本棚に戻す。もちろん私の蔵書のなかから選抜きのものを出品するつもりである。しかしコンセプトを実現させるためには渡月さんの本棚とこの先始まるせどりの旅が頼りだなあと、あの日の私はしょっぱなから膝をついていた。