今回は7月13日に退院して 1週間くらい経って入院の保険金が

39万円出ました。

そして生活傷害保険が1000万円出る可能性の話をJAの保険

担当者から頂きました。

 

そうすると、まず桃の種をさせてもらい、種が実って実になれば

と思って、退院後7月中に桃の種献金をさせて頂きました。

今回6月に入って、食べられない横になって寝られないという状況になり

死ぬんじゃないかと思いました。

三毛生クリニックに行かなかったら、尿毒症で救急車で運ばれていたかもしれません。

その御守護で桃の種→桃の実をさせて頂いたいと思いました。

 

それで。障害者手帳が手元に届いたのが8月末でした。

そして親父が21日位から食べても吐くようになり、それに気が付いたのが

8月24日でした。

8月25日に町内の医者に連れて行き、健康診断のついでに診断をしてもらう

予定でした。でも父は自分が食べ物を食べても吐くことを言い忘れました。

それで点滴1本打って帰りました。

 

大型病院への紹介状が無いので、おかしいと思い、再度26日に町内の病院に連れて

行きました。そして今度は食べのもを食べても吐くことを説明しました。

そうすると、八幡メディカルセンターの紹介状を書いてくれて。月曜日28日行く予約

をしてくれました。そして土曜日も点滴1本打って、日曜日に容態が急変したら救急車

呼ぶようにと言われました。

 

そして、日曜日20時頃、皆が寝るそして父も自分で便所へ行きその後寝ました。

僕が夜中1時にトイレに起きてトイレした後、2階に上がって寝ようとしていたら

1階で大きな音がしました。

父に何かあった?

倒れた?と思って1階に降りてみると、倒れて横たわって小声で「助けてくれ」と叫んでいました。

それで直ぐ母を起こして、父が助けてと言っていると2人で父の所に行きました。

 

トイレに行こうとして動けなくなったみたいで、じゃ~ゴミ箱の中で用を足したら良いと

母がゴミ箱を渡しました。

そうするとゴミ箱に吐血しました。

胃からの出血と思い初めて救急車を呼びました。

救急隊員が来て本人の意識確認、血圧の測定等を行い、ストレチャーに載せて

救急車に乗せました。時刻は深夜2時。

無線で連絡を取り、市民病院へ緊急搬送されました。

 

そしてCTスキャン検査等をして2時間待合室で母と待っていました。

ERの当直の医師からぼ説明で、胃潰瘍の疑いで胃潰瘍が破れて吐血して

貧血で血圧も低下して命も危ないから集中治療室に今晩は泊って、入院してもらう。

 

それで入院の手続きをして、28日(月曜日)の日中に胃カメラ検査をすると言われて

家に戻ったのが朝5時頃でした。

そして午後に父の服を持って病院に行き、主治医と話をしたかったが主治医が忙しくて

後で病状について電話がありました。

 

1回目の胃カメラ検査ではやはり胃潰瘍が破裂してそこから出血していた。

数日後胃が綺麗になったら再度確認の為に胃カメラで検体を取り組織検査をする旨

説明有りました。

それまでは薬で胃潰瘍を小さくしてかさぶた状態になったら食事が出来る

それまでは点滴で過ごしてもらうと説明されました。

 

3日後市民病院の看護師から電話があって、集中治療室かた一般病棟に移る許可が出たので

面会に来ますかと。それで8月31日に母と2人で面会に行きました。

翌週4日と8日に面会に行きました。そして10日日曜日に主治医に再度呼び出されました。

 

理由は4日位からヨーグルトを少し食事代わりに飲ませているが気管に入り、誤嚥性肺炎を

起こして呼吸が弱く、酸素ボンベで10リットル消費している。

今後呼吸が止まったら、挿管して延命措置をしますかと聞かれ、母とそこまではしません。と

 

それで帰りに看護師からもしも呼吸が止まったら携帯電話に電話しますので出られるようにして

おいてくださいと言われました。

夜殆ど寝られなかったです。でも何とか電話も無く、急いで桃の実献金をしに

午前中出張所に行きました。自分の御守護の御礼の為でした。

そして午後母を連れて父に面会に行った時に酸素マスクは付けていて会話は出来ませんが

母が来たことは認識していました。

 

そして看護師から説明を受けました。

朝尿が40mlしか出なかったので、利尿剤を投与したら途端に1700ml出て呼吸が安定して

酸素消費量も2リットルまで下がったと聞かされました。

家に帰って考えてみると10時の秀勉の直前に桃の実献金をお供えしたので、丁度その頃から

尿が出て呼吸が安定したのではないかと思いました。

明主様ありがとうございます。

 

そして週末15日に面会に行くと酸素消費量が0.5リットルまで下がりもうすぐ酸素マスクも外れる

と言われました。

そして19日に面会に行くと酸素マスクも取れ今日から1日3食ゼリーを食べれるようになったと

報告を受けました。

父とも会話もでき、父が母に家に帰ると2回言っていて、あ~家に帰りたいんだなと思いました。

そして、ここが病院で自分が入院していることも会話の中で認識している事を書くん出来ました。

 

順調に回復していると20日に面会に行き、21日はケアマネジャーとの面接があり1時間半ほど面接を

受けていました。僕はそれに立ち会っていました。

翌週は25日と28日に面会に行きました。元気そうで会話も出来ました。

食事は3回ともゼリーで飽きるとか家に帰るとか言っていました。

そして29日に主治医に呼び出され、誤嚥性肺炎も完治しもう1ヵ月経つので、市民病院は救急病院のため

リハビリには別の病院に転院して欲しい。

転院先が見つかるまでここにいれるけど転院先が見つかり次第転院してほしと言われまして

転院先を探してくださいとお願いして帰りました。

 

そして翌30日の朝9時頃市民病院から電話があって、呼吸が弱くいつ止まっても不思議ではないので

直ぐ来るかと言われ、母と飛んでいきました。

2日前は元気に会話もできていたので、リハビリの病院は近い方が良いなとか言いながら母と帰って

来ていました。

それで病院に行くと父がもう呼吸が止まって、心臓の鼓動が34(通常60以上)になっていました。

それで慌てて妹に写真と状況をラインで説明して、妹も飛んできました。

 

それまで、心臓が止まって、そうすると額に手を当てて浄霊をして、元の34になり、

また0になったら浄霊をして それを3回くらい繰り返して今度は0になったままで

安らかに眠って欲しいと思い浄霊はしませんでした。

妹が来て対面後、医師を呼んで死亡確定をしてもらいました。それが10時37分でした。

 

まとめ

桃の実建機は自分の命を頂いた御守護の御礼で準備していました。

桃の実建機をしてから父の誤嚥性肺炎が好転して、結果治ました。

自分の御守護の為の桃の実でしたが父に御守護を頂いていました。

明主様ありがとうございます。

しかし、ゼリー3食では体力が維持できずに体力が削がれ、ついに帰幽してという結果でした。

 

祖母も同じように最後まで心臓が動いていて、亡くなる日は父と同じでした。

しかも祖母は87歳9月29日に死亡

   父は 88歳9月30日に死亡とほぼ似た日に霊界に帰って行きました。

 

今月は稲刈りで忙しく、来月11月に新魂の慰霊祭に父の姉と2御霊を慰霊させて頂く予定です。