アメブロのマイページの設定の中にアメブロ以外のお気に入り、があります。そこにツイッターの更新も何件か入れているのですが、WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)日本語版編集長の小野由美子さんのツイートが気に入っています。
今回はその一つから派生した感慨をひとつ。
最近回顧録を出した前大統領のGWB氏。随想の抜粋がWSJ紙に載りました。「意外と自分の限界を認めているような書き方で、笑ってしまいました」とあり、興味をそそられたので読んでみることにしました。記事では氏がイェール大学時代のエピソードを紹介しています。気になったのは結びのところです。二十歳の夏、帰省した後ある石油採掘会社で一週間働いては一週間休む仕事をしていました。(父は政界に入る前は石油採掘事業を営んでいました。)遊び盛りのリッチで政治的経済的にも有力者の長男である若者がルイジアナの田舎で汗とホコリまみれになって働くのは苦痛だったのでしょう、最後の一週間になったとき、自分で切り上げてしまうことにしたそうです。無邪気にヒューストンの彼女に会いにゆくから、あとヨロシク、と申し出た息子。父が説教します。いついつまでにしっかり働くというから会社は信用して君を雇ったのだ。それを一方的に反故にするのは契約違反であり、まったく失望した。責任ある立場にいる父からのメッセージは、大人として社会人としての心構えを伝えるもので真っ当なことで、本人の反省を促したものです。
この挿話は蛇足をもって終わっています。数時間後、父から電話があります。また説教を食らうのかとヒヤヒヤの息子は、その晩の予定を尋ねられます。なんと、息子と彼女をその晩のアストロズの試合に招待するとのこと。言うことは厳しく言い、後は本人の意思を尊重するという、尊敬する父のエピソードと位置づけています。
電話を受けたところから察すると、結局、息子は実家に帰ってしまったようです。1966か67年と言えば父が州の下院議員として影響力を持っていた筈。そのお膝元ヒューストンでのプロ野球観戦。ハッピーな家族風景ととらえるか、反省と行動もなしにオイシイとこだけいただく姿勢は今に通じるものがあると見るか、意見がわかれるところでしょう。一国のみならず世界に影響を与えるポジションに居た人物が、とても身近に感じられるとするか、自己中心的過ぎるとするか。読者の皆さんはどう思いますか。
今回はその一つから派生した感慨をひとつ。
最近回顧録を出した前大統領のGWB氏。随想の抜粋がWSJ紙に載りました。「意外と自分の限界を認めているような書き方で、笑ってしまいました」とあり、興味をそそられたので読んでみることにしました。記事では氏がイェール大学時代のエピソードを紹介しています。気になったのは結びのところです。二十歳の夏、帰省した後ある石油採掘会社で一週間働いては一週間休む仕事をしていました。(父は政界に入る前は石油採掘事業を営んでいました。)遊び盛りのリッチで政治的経済的にも有力者の長男である若者がルイジアナの田舎で汗とホコリまみれになって働くのは苦痛だったのでしょう、最後の一週間になったとき、自分で切り上げてしまうことにしたそうです。無邪気にヒューストンの彼女に会いにゆくから、あとヨロシク、と申し出た息子。父が説教します。いついつまでにしっかり働くというから会社は信用して君を雇ったのだ。それを一方的に反故にするのは契約違反であり、まったく失望した。責任ある立場にいる父からのメッセージは、大人として社会人としての心構えを伝えるもので真っ当なことで、本人の反省を促したものです。
この挿話は蛇足をもって終わっています。数時間後、父から電話があります。また説教を食らうのかとヒヤヒヤの息子は、その晩の予定を尋ねられます。なんと、息子と彼女をその晩のアストロズの試合に招待するとのこと。言うことは厳しく言い、後は本人の意思を尊重するという、尊敬する父のエピソードと位置づけています。
電話を受けたところから察すると、結局、息子は実家に帰ってしまったようです。1966か67年と言えば父が州の下院議員として影響力を持っていた筈。そのお膝元ヒューストンでのプロ野球観戦。ハッピーな家族風景ととらえるか、反省と行動もなしにオイシイとこだけいただく姿勢は今に通じるものがあると見るか、意見がわかれるところでしょう。一国のみならず世界に影響を与えるポジションに居た人物が、とても身近に感じられるとするか、自己中心的過ぎるとするか。読者の皆さんはどう思いますか。